
東京 2001年9月19日(水) 23時 26分 25秒 非暴力を求めることはリアリズム
この掲示板を読み「現実的ではないと言われても、平和を求めたい」という意見がかなり多いと実感しております。 平和を求めること。 それは本当に、「現実的ではない、夢見がちな意見」でしょうか? 私は、リアリズムだと思います。 マハトマ・ガンジーというインドの哲学者・政治家は、「非暴力・不服従」という考え方によって、イギリスによる植民地支配から脱出する方向をさぐり、暴力を使わず、国の独立運動を実践し進展させました。 インドとパキスタンとは別れてしまいましたが、しかし、今もインドの国内で、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒、そしてキリスト教徒、仏教徒は、隣同士でともに暮らしています。共存しています。 異教徒同士、異文化同士、人々はともに暮らすことができる、そのことを実践し、証明しています。 テロと暴力には絶対に不服従。 そして、徹底的に非暴力を貫く。 そうして政治を、国を動かした先人が、たしかに存在したのです。たった五十年ほど前に。 だからこそ、「非暴力」は、リアリズムなのです。 私たち日本は、「非暴力」をうたうことのできる、ユニークで世界でも固有の、すばらしい方針を堂々と掲げて、世界に臨めばよいのではないでしょうか。
kimmy 東京 2001年9月19日(水) 23時 17分 3秒 無題
小泉首相が一人で走りだしました。国民を無視し、国民の安全を無視して大好きなアメリカのために、自分をアピールするために自衛隊を戦争に加担させるんだそうです。ニュースステーションで久米さんがいってました。湾岸戦争の時にあんなにお金を出したにも関わらず日本の顔がみえない、日本のしたことは、他国にとって笑いものでしかなかった、だからと言って今回の首相記者会見で発表されているようなことをきちんと考えることなく短時間に発表するのは怖いことだ。今回も平和憲法を持つ日本が信念をもってなんと言われようを日本は戦争に加担はしない、今回も笑うなら笑えとなぜ世界に向かって言うくらいの信念がないのか。今、このことが世界に受け入れられず笑いものにされても将来、あの時の日本の姿勢が正しかったと言われればいいではないか。私も同感です。安易にアメリカのプライドの戦いに日本が加担することはないのです。二度と、戦争はしないと憲法にうたっているのだし、世界的にもすばらしいと認められている憲法9条があるのだから、それを前面に出し世界に示していくことが今の日本の一番の役割であると思う。小泉さん、お願いですから、バカなことはしないでください。このサイトに出ているたくさんの声がどうしたら、日本の行く末を決める人たちに届くのでしょうか。
南方 2001年9月19日(水) 22時 24分 20秒 アフガニスタンからの手紙
以下転載いたします転載元の方からは、手紙の真意をくみとっていただけるような人にだしていただけるのならとの了解いただきましたので、ここにいらっしゃる方は立場はいろいろありますが、ご理解いただけると思い転載いたします。------------>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>アフガニスタンからの手紙です。>一人でも多くの方に読んでいただきたいとのことですのでご紹介します。>>国連難民高等弁務官カンダハール事務所で働いていらした方>−千田悦子(ちだ・えつこ)さんという方の手記です。>>千田さんは、国連難民高等弁務官カンダハール事務所で仕事を>していましたが、オサマ・ビン・ラディン氏をかくまっているとされる>タリバンの本拠地へのアメリカの軍事行動などの危険性が出てくる中、>一時的に勤務先をパキスタンに移転するという措置で、「避難」を>していますが、その緊急避難の最中に書かれたものです。>以下、千田さんの手記です。>>********************************>>報道機関の煽る危機感>>9月12日(水)の夜11時、カンダハールの国連のゲストハウスでアフ>ガニスタンの人々と同じく眠れない夜を過ごしている。私のこの拙文を>読んで、一人でも多くの人が アフガニスタンの人々が、(ごく普通の>一人一人のアフガン人達が)、どんなに不安な気持ちで9月11日(昨>日)に起きたアメリカの4件同時の飛行機ハイジャック襲撃事件を受>け止めているか 少しでも考えていただきたいと思う。テレビのBBC>ニュースを見ていて心底感じるのは 今回の事件の報道の仕方自体>が 政治的駆け引きであるということである。特にBBCやCNNの報道>の仕方自体が根拠のない不安を世界中にあおっている。>> 事件の発生直後(世界貿易センターに飛行機が2機突っ込んだ時>点で)BBCは早くも、未確認の情報源よりパレスチナのテログループ>が犯行声明を行ったと、テレビで発表した。それ以後 事件の全貌が>明らかになるにつれて オサマ.ビン.ラデンのグループの犯行を示>唆する報道が急増する。その時点でカンダハールにいる我々はアメ>リカがいつ根拠のない報復襲撃を また始めるかと不安におびえ、>明らかに不必要に捏造された治安の危機にさらされる。何の捜査も>しないうちから、一体何を根拠にこんなにも簡単に パレスチナやオ>サマ・ビン・ラビンの名前を大々的に報道できるのだろうか。そして>この軽率な報道がアフガンの国内に生活をを営む大多数のアフガ>ンの普通市民、人道援助に来ているNGO(非政治組織)NPOや国>連職員の生命を脅かしていることを全く考慮していない。>> 1998年8月にケニヤとタンザニアの米国大使館爆破事件があ>った時、私は奇しくも ケニヤのダダブの難民キャンプで同じくフィー>ルドオフィサーとして働いており、ブッシュネル米国在ケニヤ大使が>爆破事件の2日前ダダブのキャンプを訪問していたという奇遇であ>った。その時も物的確証も無いまま オサマ・ビン・ラデンの事件関>与の疑いが濃厚という理由だけでアメリカ(クリントン政権)はスー>ダンとアフガニスタンにミサイルを発射した。スーダンの場合は、製>薬会社、アフガンの場合は遊牧民や通りがかりの人々など 大部>分のミサイルがもともとのターゲットと離れた場所に落ち、罪の無い>人々が生命を落としたのは周知の事実である。まして 標的であっ>た軍部訓練所付近に落ちたミサイルも肝心のオサマ・ビン・ラデン>に関与するグループの被害はほぼ皆無だった。タリバンやこうした>組織的グループのメンバーは発達した情報網を携えているので、>いち早く脱出しているからだ。前回のミサイル報復でも 結局 犠>牲者の多くは 子供や女性だったと言う。>> 我々国連職員の大部分は 今日緊急避難される筈だったが天候>上の理由として国連機がカンダハールに来なかった。ところがテレ>ビの報道では「国連職員はアフガニスタンから避難した。」と既に報>道している。>報道のたびに「アメリカはミサイルを既に発射したのではないか。」>という不安が募る。アフガニスタンに住む全市民は 毎夜この爆撃>の不安の中で日々を過ごしていかなくてはいけないのだ。更に、現>ブッシュ大統領の父、前ブッシュ大統領は 1993年の6月に 同>年4月にイラクが同大統領の暗殺計画を企てた、というだけで 同>国へのミサイル空爆を行っている。世界史上初めて、「計画」(実際>には何の行動も伴わなかった?)に対して実際に武力行使の報復>を行った大統領である。現ブッシュ大統領も今年(2001年)1月に>就任後 ほぼ最初に行ったのが イラクへのミサイル攻撃だった。>これが単なる偶然でないことは 明確だ。> 更にCNNやBBCは はじめからオサマ・ビン・ラデンの名を引き合>いに出しているが米国内でこれだけ高度に飛行システムを操りテロ>リスト事件を起こせるというのは大変な技術である。なぜ アメリカ>国内の勢力や、日本やヨーロッパのテロリストのグループ名は一切>あがらないのだろうか。他の団体の策略政策だという可能性は無い>のか?> 国防長官は早々と 戦争宣言をした。アメリカが短絡な行動に走ら>ないことをただ祈るのみである。> それでも 逃げる場所があり 明日避難の見通しの立っている我々>外国人は良い。今回の移動は 正式には 避難(Evacuation)と呼>ばずに 暫定的勤務地変更(Temporary Relocation)と呼ばれてい>る。ところがアフガンの人々は一体どこに逃げられるというのだろう>か? アメリカは隣国のパキスタンも名指しの上、イランにも矛先を>向けるかもしれない。前回のミサイル攻撃の時は オサマ・ビン・ラ>デンが明確なターゲットであったが 今回の報道はオサマ・ビン・ラ>デンを擁護しているタリバンそのものも槍玉にあげている。>タリバンの本拠地カンダハールはもちろん、アフガニスタン全体が>標的になることはありえないのか? アフガニスタンの人々も タリ>バンに多少不満があっても 20年来の戦争に比べれば平和だと>思って積極的にタリバンを支持できないが 特に反対もしないとい>う中間派が多いのだ。>> 世界が喪に服している今、思いだしてほしい。世界貿易センター>やハイジャック機、ペンタゴンの中で亡くなった人々の家族が心から>死を悼み 無念の想いをやり場の無い怒りと共に抱いているように、>アフガニスタンにも たくさんの一般市民が今回の事件に心を砕き>ながら住んでいる。アフガンの人々にも嘆き悲しむ家族の人々が>いる。世界中で ただテロの“疑惑”があるという理由だけで、嫌疑>があるというだけで、ミサイル攻撃を行っているのは アメリカだけ>だ。世界はなぜ こんな横暴を黙認し続けるのか。このままでは >テロリスト撲滅と言う正当化のもとに アメリカが全世界の“テロリ>スト”地域と称する国に攻撃を開始することも可能ではないか。>> この無差別攻撃や ミサイル攻撃後に 一体何が残るというのか。>又 新たな報復、そして 第2,第3のオサマ・ビン・ラデンが続出す>るだけで何の解決にもならないのではないか。オサマ・ビン・ラデン>がテロリストだからと言って、無垢な市民まで巻き込む無差別なミ>サイル攻撃を 国際社会は何故 過去に黙認しつづけていたのか。>これ以上 世界が 危険な方向に暴走しないように、我々も もう>少し 声を大にしたほうが良いのではないか。>> アフガンから脱出できる我々国連職員はラッキーだ。不運続き>のアフガンの人々のことを考えると 心が本当に痛む。どうか >これ以上災難が続かないように 今はただ祈っている。そしてこ>うして募る不満をただ紙にぶつけている。>> 千田悦子 2001年9月13日 筆>
南方、岡山 2001年9月19日(水) 22時 17分 1秒 題無記入
ついこの前の8月13日の小泉総理の談話に「私はここに、こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とと もに、謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。」とあります。『方々すべてに対し』この言葉を信じたい。都合悪くなったら法律かえるなんてないよね
のんびりママ 東京都 2001年9月19日(水) 17時 58分 1秒 平和な社会のために・・・
最初映像を見たときとても信じられなかった。こんな酷いことは許されない!と思いました。しかし、背景を理解するとアメリカの傲慢さで独自の宗教観に基づく生活を歪められたアラブ社会の苛立ちも理解はできます。今回の事件は、一般人に対するテロリズムという問題と、アラブに対する外交政策の正当性という点を分けて考えなくてはならないと強く感じます。どうぞ、平和な社会へ導かれていきますように・・・・と祈るばかりです。
REO・広島 2001年9月19日(水) 17時 48分 55秒 総理!
靖国神社参拝問題にしても、今回の対応にしても、片隅に追いやられた、虐げられた人々の悲痛な叫び声が届いているようには思えません。その姿が視野に入っているようにも思えません。表層だけを捉えてヒロイズムに酔いしれているようには見えても、私には、総理の人間としての深さが伝わってこない。高支持率の中で、私自身は少数派と自認していますが―。↓下記の発言に―、 アメリカは広島・長崎に原爆を落として酷い国かもし れないけどそれだけ多くの罪もない人を犠牲にされな いと自分達のしていたことが分からなかった〜―とのくだりがありますが、これは無制限の武力行使でテロリストを制圧する、ということですか? そんなことでテロリストが思想を曲げますか? 反省しますか? まして、相手を理解するに至りますか? 以前、広島・長崎に原爆が落とされたのは、軍事施設があったからだという指摘を受けました。確かに付近に軍港(呉市・佐世保市)の存在はあった。でも、結局は犠牲になったのは武器を持たない人々です。「いかに相手国に打撃を与えて降伏させるか」それが戦争というもので、もちろん、日本も常軌を逸した興奮状態の中にあり、一団となって狂った方向に突き進んでいたわけですから―。その戦時下のことを蒸し返して、是非を問おうというのではありません。 今回のテロリズムは確かに、虐げられたイスラム社会に端を発するものかもしれない。でも、彼らはイスラム社会の代表じゃない。一部の過激な組織に過ぎないわけです。そのことはアメリカ政府もわかっていると思います。にもかかわらず、やろうとしていることは、一部の過激な組織を壊滅させるために、(その心情まではわかりませんが)テロとはかけ離れた位置にいる人まで犠牲にしかねない危険な行為なわけです。 日本人の中にだって、過激な思想を持つグループが存在するかもしれないでしょう? その一部の人がしでかしたことで、日本全体が制裁を加えられるようなものですよ。日本だったらどうなります? 同じ日本人だって非難し、追及しますよね。イスラム社会の中に、そういう動きが起こることを私は期待したい。そのために、日本は尽力するべきなのではないでしょうか? 国際社会から取り残されることを、懸念する気持ちは誰だってある。でも、日本の対応って、所詮、急場しのぎの判断でしょう? 一日本人、一傍観者の私からは、アメリカに追従しているふうにしか見えないんですよね。人類に対する愛が欠片も感じられない。もっと先を見越して、宥めるとか、諌めるとか、譲歩させるような交渉はできないのでしょうか? きっとお気楽な意見なんでしょうが。 アメリカの国防長官が将来について「核兵器の使用を排除しない」と述べたとか、穏やかではない情報もありますけど。 いったい、被爆国日本の国際的立場とは何なのか! 総理に問いたい。 以前、何かの本に出てきたんですけど<evil>の綴りは<live>の反対だと。 邪悪な行為は<生きる>ということを否定するものなのですね。 テロリズム然り、戦争、また然り! ↓で紹介していただいたページにアクセスし、私も署名 します。ささやかな、ささやかな、声ですが―。
elcondorpasa 2001年9月19日(水) 17時 29分 55秒 坂田さん、お元気ですか?
話ははずれますが、他人が、生前に会った事も無いはずの故人の死を肴に泣くと、当の家族はびっくりしちゃいますよね。G大付属高校在学中に、同級生のお母様が亡くなったと先生が授業中に告げると、たいして彼女と仲良くもなかった女の子達は、一斉にしくしくと泣き始めて、あっけにとられ、とっても不快でした。其処迄して好感度をあげたいのかしら、この子たち、って。あれは、「偽善」というより、周りにいた男子生徒に見せる為の「媚」の涙なんですね。身内の不幸まで利用された彼女に同情しました。
elcondorpasa 2001年9月19日(水) 15時 16分 26秒 第二のパールハーバー
奇襲という意味での比喩ならそうでしょうけど、根本的に「テロ」と一国の宣戦は違いますよね〜。「海外在住なので」とか「帰国子女なので」等の前置きで、意見を述べられる方が多いようですが、かくいう、私も「アメリカ帰国組」ですが、だからと言って、テロの被害を受けたニューヨーカーの気持ちがわかる、ということは、全然ありません。奇麗事を言っても、現実として、結局は他人事なのでは?「本人の気持ちになれば、そんなことは言えないでしょう。」という意見に対しては、「でも、仮定したって、実際、当事者じゃないでしょ。」と思います。そんなに、感情的になって、どうするの?第三者は、お葬式に行って、「この度はご愁傷様でした。」ということ位しかできないはず。同情するのも、いいけど、結局自己満足でしょ。お金を貰って号泣する「泣き女」と、同じことじゃないかしら。
クッキー・福島 2001年9月19日(水) 15時 8分 33秒 自衛隊の存在
私の父は自衛官でした。今は定年退官しましたけど現役の時はかなり辛かったようです。愚痴はほとんど言わなかったけど退いてから任務していた頃の話を聞くと上下関係の厳しい官職のなかで頑張っても報われなかったことも数多くある中で最後まで任務を果たした父を誇りに思います。日本の国を守るため地面を這いつくばっての訓練、演習、雪山の中何十キロも歩いたり・・・・テレビで見たことありませんか?「よくやるよね」と軽蔑した笑いを浮かべる人を見かけることもありすが・・・・私は制服を着てきびっとして「国を守るのが仕事だから・・・」と言ってた父が好きでした。自衛隊というと「国民の税金で武器とか買って無駄な訓練ばかりして」と言う人も中にはいますが自衛隊がいなかったら日本なんかすぐ北朝鮮あたりにテポドン討ち込まれちゃいますよ。災害があればすぐ自衛隊が呼ばれ当たり前のように働きいろいろなところで自衛隊は活躍しているのに災害があったそのときだけでみんなそんなことすぐ忘れちゃうのです。なにかあれば自衛隊なのに日本の今の憲法では自衛隊があること事態が憲法違反なのですから。みんな利用しているのに・・・・おかしいですよね。北朝鮮とかに攻撃されても日本の自衛隊は威嚇できても攻撃できないのです。そういう憲法なのです。それでも、もし日本が攻撃されて、自衛隊がなにもできないことを「自衛隊はいったい何やってんだ。何の役にも立たない。」と自衛隊を非難する国民がいないなんて私には思えません。米軍基地がある地域にすんでいるわけではないので、たやすくこんなこといえるのかもしれませんが米軍基地が日本にあるから日本は戦後こんなに平和に暮らせてこれたんだと思います。
琴祐・千葉 2001年9月19日(水) 14時 42分 4秒 追伸
同じ発言が二回送信されてすみません。「第二のパールハーバー」についてですが、mineさんが、「頭にきていらっしゃる人」とおっしゃいましたが、多分私の意見を読んでのことだと思います。私は、「第二のパールハーバー」と言われているのを頭に来ているのではありません。日本には、日本の立場としての発言なり報道があるべきだといっているのです。アメリカとは「戦争」ということに関して言えば、全く異なった見識があってしかるべきだと思うのです。マスコミは、言葉が稚拙すぎます。それは、アメリカの報道を、見識を、そのまま伝えているからではないでしょうか?仮に日本独自の見識が報道陣にないのだとしたら、これ程胸の痛くなるニュースを連日流すことには、どんな意味があるのか、冷静に考える必要があります。私はアメリカ人ではないのです。かつて中国や韓国にひどいことをした日本人の子孫の一人として、その立場からも戦争反対を訴えたいと思います。政府やマスコミには、日本だからこそいえること、平和憲法を世界に広めることをして欲しいと思っています。地球全体の平和を望むものとして、追加で意見させていただきました。
琴祐 2001年9月19日(水) 14時 18分 1秒 報道に関して
なぜ、連日、まるでここはアメリカ?って思うくらい、米国サイドからの発言や報道を見なければならないのでしょうか?一番びっくりしたのは、日本のメディアが沈うつな面持ちで、まるで、アメリカ人であるかのように「第二のパールハーバー」といっていること。アメリカのメディアで真珠湾攻撃を憎むのはわかります。でも、日本は(真珠湾攻撃が正しかったとか、そういうことを言っているのではありません)米国人と同じ気持ちで、「パールハーバー」を語ることは絶対できないはずです。もし、「第二のパールハーバー」をいうのであれば、かつて日本に対してアメリカが行ったどのような報復が効果的であるかを伝えるための手段にすべき。(原爆投下や憲法制定、沖縄基地問題、日米安保条約など)日本が真珠湾攻撃以後、アメリカから受けた様々なことをふまえて、今回のテロ組織に対してそれは有効かどうかを伝えることこそ、日本の顔の見える支援と言えるのではないでしょうか?日本のメディアや政治家には、平和憲法を持っている国としての誇りと自信を持つ発言や報道をして欲しいです。何はともあれ、戦争反対!強攻策反対!武力行使は、何も解決しないと思います。
mine・宮城 2001年9月19日(水) 14時 14分 26秒 テロについて思うこと
毎日、世界情勢に注意してテレビに耳を傾けるようにしています。マスコミについて思う事はもう少し冷静に情報を伝えてほしいということです。私達はアナウンサーの私情や興奮した様子を見たいのではないのです。ドキュメンタリータッチで編集するのもいいけれどやたらとまわりくどくて昔に比べニュースが見にくくなったなと感じてしまうのは私だけでしょうか?色々聞き比べてみると個人的にはやはりNHKが一番ききやすいように思います。事件のあった最初の日は驚きでニュースも特番を組んで一日中って感じでしたが一週間も経つとテレビで扱う時間もだいぶ減ってだんだんいつのまにか風化しちゃうんでしょうか。今回のテロを「第二のパールハーバー」と言われて頭にきてる人もいらっしゃるようですが、日本は太平洋戦争でアジアの各国に酷いことをいっぱいしてきているのです。アメリカに土足でこの国に入られたと言う前に日本だってアジアの国々に土足で入るような事いっぱいしてきているのです。日本の教科書ではあまりそういうこときちんと教えていないけど中国や韓国と今は外交上の問題はないくらいに友好的になっていても反日感情はまだ根強く残っているのです。昔の日本は「天皇陛下万歳!」といって天皇のためならなんでもできるしまたそうしなければならない、という教育でした。日本だってそういう狂信的な時代があったのです。太平洋戦争の原因は他にもいっぱいあったのだろうけど日本のそうした狂っていた部分だって充分戦争の原因になっていたんだろうと思います。人を責める前に自分達の国だって悪いことをしてきたんだという事実を忘れずにいたいものです。アメリカは広島・長崎に原爆を落として酷い国かもしれないけどそれだけ多くの罪もない人を犠牲にされないと自分達のしていたことが分からなかったのですから・・・・・今回のテロに関してアメリカがイスラム社会に対して今までしてきた事の報いととる人もいますがこれは自由主義社会に対するテロの挑発だと思います。世界各国に散らばるテロ組織すべてを武力行使で消滅させることは並大抵なことじゃないでしょう。だからといって狂信的な彼らに平和的な話し合いを望んだところでそれを理解できる彼らでしょうか?話し合いで解決できるなら何千年も前から繰り返されている争いはとっくの昔からなくなっていたはず。武力行使が正しい方法かは正直わからないけど、言っても分からない彼らに武力行使以外の方法があるのでしょうか?酷い事されても、ぐっと我慢するのが人道的だという意見も理解できるけど人の命と民間の旅客機を武器にしてテロに及んだ今回の行動に対して何もしないというのはテロリストに対し屈したことになるのではないでしょうか?
Sacksacks・New York 2001年9月19日(水) 14時 0分 47秒 題無記入
私はアメリカのニューヨークのマンハッタンに住んでいるので今回のことは、私をも、まともに直撃しました。まず第一の感想としては、「NYに住んでいる人は皆相当な精神的打撃を受けている」ということです。国籍なんか関係ありません。皆一様に今もかなりのストレス状態です、たとえ現場を直接目撃していなくても、同じ空間にいたというだけで、こんなにもストレスを受けるんだということを痛感しました。それゆえに、今回のことは他人事ではありませんでした。今までの投稿を読むと、アメリカの行動に対して批判的な方も多いようですね。うなずける点も多々あるのは事実ですが、実際今回の事件が起こったとき、アメリカ人が流した涙、祈りは、とても純粋なものだったということも是非理解してもらいたいと思います。国籍関係なく、皆が平和を祈っています。そして国籍関係なく、行方不明になっている人の無事を祈っています。国籍関係なしに皆がボランティアの参加を申し出ています。皆が今できることを倒壊直後からやっていました。別に物質的な援助じゃなくったって、はげましだけでうれしいんです。ニュースで各国で平和を祈る集会を開いた国の紹介をしていましたが、そこに日本のことは出てきませんでした。別に何かをしてもらいたいとは思っていません。でも、何かが起こったときに、何かどんなことでもいいから一人一人が「今できること」をしていくということは大事なことなんではないかと思います。国が何をするかの前に、個人でできることを考えてみる視点というのは大事ではないでしょうか?日本人として自戒も込めて言いたいのは、日本の人はまだまだ、個人レベルで何かをすることが大切だという視点が、足りないように感じます。思うだけではだめなんだということは、今回のことで強烈に感じました。