「ストラディヴァリウス/デュランティ」は、ある日突然、わたしの前に現れました。
今からちょうど1年前のことです。
そのころ、新しい楽器に替える予定はまったくなかったのに、突然、「楽器を見てみないか」という電話があったんです。「ストラディヴァリウス」という楽器は世界に何百台もあるし、こういった話はこれまでにもたくさんあったので、ある程度の予想はついていたんですよ。
ですから最初は、「見なくてもいいのでは?」という気持ちと、そんなにすばらしいのなら、「ちょっと見てみたいな」という興味が半分半分でした。
ところが、実際に手にして弾いてみた瞬間、生まれて初めての経験だと確信できるくらい、強い衝撃を感じたんです。
まず、「本当に300年間、誰も弾いていなかったの?」という驚き。もしそうなら、こんなに鳴るわけがない。しかもただ鳴るのではなくて、わたしがイメージできないような音を持っている。言ってみれば、それまでわたしの中で築き上げてきたものがすべて覆されて、今までの予想をはるかに超えた音楽の世界というものが、もはやそこにあったわけです。
その「もはやある」世界を膨らませて、さらに展開させていくには、すべてにおいて「ゼロ」の状態から始めなくてはならない。それまで弾いたどの曲についても、これから弾き直す必要があるんです。
この楽器を手にした人はそれをしなければならないと思うし、もちろんすごくラッキーで、幸せなことで、これほど演奏家冥利に尽きる話はないと思います。
その反面、ある種のプレッシャーがないと言ったらうそになるけれど、それはわたしにとって、「心地よい荷物」なんですね。
同時に、わたしはこの楽器と、生まれた時から一緒にいるような気がしています。
楽器にも相性があって、たとえば、ある有名なヴァイオリニストにとってはすばらしいと感じる楽器でも、別の有名な演奏家が弾いてみると「なんだこれは?」というような逸話が、世界にはたくさんあります。
それは、人の場合とまったく同じだと思うんです。世界には、こんなにたくさん人がいるのに「なぜ?」と思うことがありますよね。でも、その人にとっては唯一無二の存在であり、これでないと意味がないということが。
とにかく、こんな音の世界を今まで味わったことはありません。
「デュランティ」は、わたしにとって、普通のヴァイオリンではないですね。何かが宿っているとしか思えないような、恐ろしささえ感じます。楽器自身が強い意志を持っていないと、これだけ運命的なことはないでしょうし、何かすごいことがわたしの周りで展開しているような意識が、常にあります。