
今から思えば、それが再びヴァイオリニストに戻っていく第一歩になったわけです。
その時は、2年間のブランクだから、2年でまた前のように弾けるだろうと思っていました。ところがそれは大間違いで、では、倍の年月をかければだいじょうぶだろうと、4年間頑張ることに決めました。
また始めようと決めた時から、演奏会は毎年開かれるようになりました。まさか、自分が演奏会で弾けないなんて、想像もしていなかったのです。楽屋に帰ると泣くようなこともあるわけです。
ステージの上で弾けない。こんなに恐ろしいことはありません。体中がガタガタ震えますし、ヴァイオリニストとしての千住真理子は、二度と戻らないんじゃないかという不安が襲いかかってくる。2年、3年だと、まだ不安がつのるぐらいなんですが、4年、5年とたってくると、それが確信に変わるわけです。
それまでは、弾こうと思えば何でも弾けたんですね。自分なりの指の感覚というものがあって、指に任せていれば、頭で何も考えなくても弾ける。それがブランクの後は、以前のように12時間以上も、それこそ腱鞘炎(けんしょうえん)になるくらい練習した。家では弾けるんですよ。でも、ステージに上がると感覚が戻らない。それが1年、2年と続いて、4年目になってもまだ戻らない。
その間にずっと思い続けていたのは、ばちが当たったんだということ。音楽の神様がいるのなら、2年間弾かなかったことで、「きみには、もう弾く資格がない」と言っているんだろうと思ったのです。
そして、7年目のある日。ステージの上で、突然、指の感覚が戻ったんです。
その時わたしはステージの上で、一人喜びました。「やった!」って。そしてこれが一時的ではなく、完全なものならば、わたしは生涯ヴァイオリニストを続けていいんだと、やっと神様が認めてくれたということなんだと思いました。
それから感覚は失われることなく、弾けるようになってからは、演奏会がうれしくてたまらなくなりました。人前で弾けるということが、本当にうれしかったんです。
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