ヴァイオリンとの最初の出会いは、2歳3カ月の時です。二人の兄が鷲見三郎先生にヴァイオリンを習っていたのですが、さかのぼって考えてみると、母の祖父母が経験したある出来事が、そのきっかけになっているような気がします。
母の祖父母は物理学者だったのですが、ドイツ留学した時に、船の中で、ヴァイオリンを弾くアインシュタインに出会いました。それはすばらしい演奏で、祖父母は夢うつつのような状態で、「ユーモレスク」を弾くアインシュタインの話を、身振り手振りを交えて語ったそうです。祖母は、その話を幼いわたしたち兄妹にも何度も聞かせてくれました。
熱にうなされるくらい、祖父母が感動したヴァイオリン、そしてクラシックという世界。その気持ちを母が受け継いで、わたしたちに習わせようと思ったんじゃないでしょうか。
母はいつもわたしをおぶって、兄たちの練習に連れて行ってくれました。ところがある日、わたしは母の背中から突然降りて、鷲見先生の膝の上に乗ったそうです。すると先生は「2歳3カ月じゃ、まだ早いね」と笑って、わたしを膝に乗せながら「メリーさんの羊」を弾かせてくれたそうです。
それが、初めてヴァイオリンを弾いた時なのですが、実はそれより以前に、兄たちの楽器をいたずらして、母に注意された記憶があるんです。兄たちをうらやましく思っていたんですね。わたしはヴァイオリンを取られるのが怖いくらいで、いつも握りしめていたことを覚えています。
そのくらい大好きだったはずなのに、小学校の低学年まではほとんど練習をせず、あまり上手に弾けませんでした。鷲見先生の門下生は、プロを目指している方がほとんどだったので、みなさんコンクールに出るんです。当然、わたしも出られるものだと思っていたのですが、「あら、あなたも出るの?」と、笑われるような存在でした。
その時からですね。夢中になって練習するようになったのは。やっぱり同年代の子が、同じ曲を自分よりもずっと上手に弾いているのを見たら、自分もそうなりたいと思った。それで猛練習して、上達したというわけです。
コンクールで1位になったのは、小学校5年生の時。それを知ったある関係者の方が、次の年にNHK交響楽団と共演する場をつくってくださいました。ちょうど、ヴァイオリンを弾くのがおもしろくて仕方がない時期でした。ただ、それからは年間60回くらいの演奏会をこなしていくのに必死で、いつの間にか10代が終わっていたというのが正直なところです。とにかく突っ走ってきた。そういう感じでした。