三味線をやめようと思ったことはありません。でも、人間関係が大変でイヤになったことはあります。茨城にいるころから、大会でいい成績を取ったりテレビに出たりすると、いろいろなことを言う人が出てきて……。ありもしない噂をたてられたり、津軽出身でないことも言われましたし。一時期は人間不信になって、あまり人ともしゃべらなかったんです。
そういう苦しいときに支えになったのは、「俺は絶対、こいつに何も言わせないぐらいの実力をつけてやろう」という思いでした。いろんな感情や状況があっても、「うまいから仕方ない」と無条件に思わせるような、ケタ違いの実力があればいいと。
自分が同じフィールドにいるからダメなんです。いつの間にか自分でそういう誹謗(ひぼう)中傷を呼び込んでいる。まわりではなく自分が悪いんです。だから、そこで状況を変えるには自分が成長してステップを上げる、違うフィールドに行くことが大切なんですね。
違うステージに立ってやる、もっと上のステップに上がるんだという気持ちが支えに、原動力になりました。ちょっとひねくれてるかもしれないけど(笑)、そこをパワーに変えるんですよね。
それが原動力になって今の自分があるのは、環境やまわりの人の協力があったからこそです。自分ひとりでは到底できなかった。
9歳の子どもにクルマ1台買える値段の三味線をタイミングよく買い与え、15歳で東京に出し、茨城から東京まで週に2回も食事を作りに来てくれた両親。どれか一つでも欠ければ、今の自分自身はここに居ないわけですから、両親や姉には、すごくありがたいなと感謝しています。
それに対して報いるには、やはり自分がまず健康で、三味線の道を突き進むこと。その道で充実して人生を楽しんでいくということでしょうか。