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ハーモニーインタビュー

ミュージシャン 上妻宏光さん


運命の出会いは6歳。明けても暮れても津軽三味線

【写真】上妻宏光

津軽三味線と出会ったのは、6歳のとき。父がけいこしている音を聴いて、その音色とかビートにビビッときてしまったんです。理屈じゃなく直観なんでしょうね。それは、たとえば仕事上のお付き合いでも、「あ、なんかこの人と気が合うな」と感じるのと同じこと。目には見えない「気」とか「波長」が合うのだと思います。

僕は基本的に音楽が大好きで、ギター、ベース、ドラム、キーボード、ピアノなどの楽器も好きです。でも、とくに三味線の音とは波長が合った。それも、ほかの三味線ではなくて津軽三味線だった。運命の出会いなんでしょうね。遺伝子に刻まれていたのかもしれない。

それからはもう夢中で、ひたすら三味線に明け暮れる日々。学校から帰ると何時間でも部屋にこもって弾いていました。三味線1本で進むことに挑戦しようと思ったのは、中学2年生、14歳のころ。全日本津軽三味線競技大会で優勝したこともあり、「優勝するぐらいだから才能はゼロではないな。だったら、『一流』が集まっている東京で勝負したいな」と思ったんです。

また、津軽三味線の大会に出始めた12歳ごろ、僕の出身が津軽じゃないことについて「津軽の音は津軽の人間にしか出せない」と言われたことがあります。

まだ若かったから、血だとか出身だとか言われても理解できなくて、「同じように弾いて何が違うんだ」「茨城出身の俺に民謡はできないのか」と憤りや反発を感じましたね。でも、津軽の「じょっぱり」といわれる強さが好きで、その音楽に引かれていたわけだし、民謡が大好きだったので勉強は続けたかった。と同時に、小学校の終わりごろから洋楽も聴き始め、その方面でも何かできないかなと思っていました。

民謡と洋楽。何となく二つの道がぼんやりと見えていて、その二つを勉強できる場が、僕にとっては、津軽ではなく東京だったんです。それで15歳のとき、高校入学と同時に一人で上京しました。

その後、三味線1本で、バイトもしないで食べていこうと決心したのは、高校を卒業した18歳ですね。



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