ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第95回 進藤 晶弘さん

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株式会社メガチップス会長 、株式会社メガフュージョン取締役兼代表執行役社長
進藤 晶弘さん
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小学生の時、記憶喪失に
- 進藤
分からないですけれども、たぶん小さいころじゃないですかね。
- 佐々木
どういうご家庭に育ったんですか?
- 進藤
ああ、私の父親はサラリーマンだった。愛媛県の新居浜市ですから、住友化学がありましてね。でもそこに勤めて何をしていたのか、さっぱり話も聞いたことがない。
なぜかと言いますとね、私は、小学校1、2年の時に大病を患いましてね。それで、実は体の4カ所、大手術をしているんですよ。それが、半年ぐらいの間にそのぐらいやりまして、当時手術が進んでいなかったので、全身麻酔でやったようです。どうも、その後遺症で、記憶喪失にかかった。
だから、小学校1年の時は、まあ、お袋いわく、ものすごく成績がよかったそうです。で、病気して出て行った時にはもう最悪の成績になって。それからは、例えば朝起きるでしょ。お袋が水を洗面器に入れてくれる、水は、ぐるぐる回っている。それを放っておいたら1時間くらいでも、じーっと見てる状態だったそうです。
で、結果的にはね、全部記憶喪失になったので、留年してもう一度1年生からやり直すか、あるいは2年に進むませるか、悩んだそうです。で、結果的には進んだのですが、実は、その後遺症が取れるのが小学校の6年ぐらいなんです。
- 佐々木
小学生の間、ずっと記憶喪失、ということですか。
- 進藤
記憶喪失は1年生までのことです。それ以降は後遺症もあって人よりも遅れていたようです。ですから、お袋からすれば、要は健康であればいい、と。実は私、母から聞いたんですが、お医者さんから3回も駄目だ、と言われているんですね。親も3回、もう駄目だって覚悟したそうです。ところが、後遺症は残りましたけれども、奇跡的に治った。
だからとにかく健康であってくれればいい、っていうのが、両親の願いだったんです。
だから、勉強しろとも何にも言われないんです。元気であればいいから、とにかく海とか山へ行って遊んでくれてたら親は喜ぶという。ですからね、言い換えれば、何の期待もされなかった子どもだったんです。
- 佐々木
ご兄弟はいらしたのですか?
- 進藤
上は兄貴がいますが、期待されましてね(笑)、薬学部行ったんです。で、薬剤師をやっているんです。で、僕は期待されなかったし、まあ、もとから大学へ行くと言うた時も、お前働け、と言われたくらいでね。家庭の事情から、2人大学にはやれない、と。
当時は戦後で貧乏だったんで。で、私は「実は学校行きたい」って高校の先生に相談したら、高校の先生が、じゃあお父さんお母さんに話してあげようって言ってくれたんです。そうするとね、その先生はうまいことおっしゃってね、「いやあ、高校よりも授業料が安いところがあって、それで家からも通えるところがありますよ」と。
それが愛媛県の地元にあった愛媛大学の工学部だった。そこで、工業化学科いう、新設された学科であって。僕、化学に興味があったものですから、そこへ行け、と。で、親が初めて了承して。
で、兄はね、大学を出て、薬剤師になって、親に戻されたんですよ。期待があるから。僕は(笑)……。
- 佐々木
期待されていないから(笑)。
- 進藤
期待されていないから、お前はどこへ行ってもいい、と(笑)。ずっと期待されない。
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