ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第136回 升永英俊さん

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升永英俊さん
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大学に入るまで、私は随分転校ばっかり
- 佐々木
先生ご自身のことを伺ってもよろしいですか? 先生は東京でお生まれになったんですか?
- 升永
僕は鹿児島で生まれました。
- 佐々木
でも、高校は都立戸山高校ですか。
- 升永
私は小学校も大分県の中津小学校に入って、それから神奈川県の平塚の小学校に2年から4年までいまして、4年の途中で転校して、中村先生と同じ愛媛県に中学校2年までいまして、その後、大阪の尼崎市に移って、神戸に越境入学して、神戸の中学校に1学期だけ行って、今度は大阪の豊中に中学2年の第3学期から移って、それから地元の豊中高校という公立高校に1年生の1学期までいて、親父がまた東京に転勤したので、やむを得ず東京の戸山高校にもう一回入学試験を受けて、だから僕は高校の試験を二つも受けて、ひどい目に遭ってね。だから大学に入るまで、私は随分転校ばっかりですよね。
- 佐々木
お父様はどんなお仕事をされていたんですか?
- 升永
親父は富士紡という紡績会社の技術屋だったもんだから、その工場が全国各地にあるんですね。その工場をグルグル回るもんだから、子どもですから、それについて行ったんです。今だったら、お父さんだけ「行ってらっしゃい」で、お母さんと子どもだけで、子どもは学校があるからって、お父さんだけ単身赴任するけど、昔はお父さんが移ると皆くっついていったわけですよ。
- 佐々木
ご兄弟は?
- 升永
弟が1人います。
- 佐々木
お母様は、お仕事はされていたんですか?
- 升永
母親は、していなかったです。専業主婦だったですね。
- 佐々木
それで、法曹の道に行くことはどこできめられたんですか。高校を出た後は、もう東大法学部でいらっしゃいますから、高校で法曹になることを決めたのかなと思ったのです。大学卒業後は住友銀行に就職されている。
- 升永
私は弁護士は魅力的とは思わなかったし、私はビジネスのセンスがないので、給料をもらわないで生きていくということはできない、不可能だと思っていましたね。
- 佐々木
それは、いつ頃、何でそんなことを思ったんですか?
14/20
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