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升永英俊さん
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サラリーマンとして生きていこうとして
- 升永
ずっと、うちの家族が地主なんですね。だから、要するに何も働いていないで生きている人が、自分のひい爺さんの時代からずっと来ていますから、働いてお金を稼ぐっていう感覚がないわけですよ。
- 佐々木
お金持ちの家庭で育っているわけですね、地主の。
- 升永
いや、全然。昔は、一時は金があったんです。土地を持っていて、大地主だったんです、一時は。うちのひい爺さんの父が、幕末の頃に杵築(きつき)藩という所の勘定奉行だったんですよね。それで廃藩置県になるでしょう? それで西郷隆盛軍にお金を送って、その後、西郷軍が負けちゃったものだから、うちもひどい目に遭いました。しょうがないので、サラリーマンとして生きていこうとして住友銀行に入ったんです。
- 佐々木
その前に、東京大学法学部というのも、簡単に入れるところじゃないと思うんですけれども、そういう転々と転校をしていく中で、東大を目指そう、法学部を目指そう、みたいなのは、お父様やお母様の、何か教えがあったんですか?
- 升永
いや、それはないけどね。親父もお袋も、「勉強しろ」とも言わなかったし。
- 佐々木
そうですか。ちなみに弟さんは東大に行ったりするような、そういう感じなんですか?
- 升永
弟は早稲田の建築です。
- 佐々木
そうですか。でも、やはりご立派な。そうすると、ご自身が東大を目指そうというのは、どこかの時点で。
- 升永
あまり法学部にも、大して期待もしていなかったんですけど、何だか行く所もなかった感じで。
- 佐々木
いや、行く所もなくて東大の法学部に行ける人も、なかなかいないと思うんですが。
- 升永
というのは、今の開成はもっとすごいですけれども、戸山高校というのは、僕らの時代は、真ん中以下の成績の生徒も東大に行く学校なんですよ。僕のときは同級生が138人、東大に行きまして、大体クラスで27番とか、そういう人達も東大に行きましたから。
- 佐々木
でも、弁護士になるということではなくて、銀行員になられたということですね?
- 升永
やりたいことがなかったから、銀行員になって、だけど2年しかいなかったんです。銀行を辞めて、司法試験の勉強、法律を初めて勉強し始めたんです。学生時代には、山しか行っていなくて。
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