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藤村良典さん
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「スター千一夜」って知らないかな?
- 佐々木
藤村さんの仕事始めについて、教えてください。
- 藤村
シルヴィ・ヴァルタンのときは、まだキョードーじゃないの。笠島プロデュースセンター、ホリプロ、全音プロ、武蔵プロの4社が合併して、ジェネラル・アート・プロデュース(GAP)っていう会社を作ってね。そこで俺は国際部に入って、シルヴィ・ヴァルタンが一番最初の外タレ。
それまではね、俺は大学のときに、かをりちゃんみたいにアルバイトでプロダクションに入って仕事してたんだよ。「スター千一夜」って知らないかな?
- 佐々木
知ってます。
- 藤村
三木 鮎郎(みき あゆろう)っていたの。その付き人みたいなのを大学のときに、アルバイトで。おヒョイ(注 藤村さんの兄の藤村俊二氏)が、同じ事務所に入ってて。俺が大学1年のときで、おヒョイが日劇ダンシングチームにいて、辞めて。ちょうどそのときにフジテレビでビッグショーを作ってた笠島さんっていうのが独立して笠島プロデュースセンターっていうのを作るっていうので、俺は、こういう商売に入ったわけ。入ったというか、アルバイト。かをりと一緒。
- 佐々木
じゃあ、別に音楽業界に入りたかったとか、こういう仕事をしたかったというわけじゃなかった?
- 藤村
プロデューサーになりたかったのよ。あの頃は、テレビのプロデューサーっていうのは花形だから。
- 佐々木
やっぱり、お兄さんの仕事を見ていたりしたからですか?
- 藤村
そうじゃなくて、女性にもてる、みたいな。
- 佐々木
女にもてる? そこですか?
- 藤村
原点はそこ。もてたいって。今は、プロデューサーが花形だから、これをやらないと、もてないだろうな、と思って。
- 佐々木
それで付き人から始まったんですか?
- 藤村
そう、アルバイトであの頃1ヵ月9,000円だよ。大学卒の給与がその頃2万〜2万5,000円か、そのぐらいだよ。で、アルバイトで9,000円から育ったのよ、俺、本当に。
- 佐々木
そこで修行を積みながら、キョードー東京に移ったわけですか?
- 藤村
キョードーに入ったのはね、そこでもらったボーナスが少なかったのよ。いっぱいお客さんは入って、もうかっているのに。コンサートも、スティーヴィー・ワンダーとかビリー・ヴォーンとかプラターズとかエドモンド・ロスとか、すごくいっぱい入ってるのに、ボーナスがすごく少なかったのよ。で、上条と一緒に、「もう、お金を返して辞めちゃおう」と。で、辞めちゃったの。
- 佐々木
お金を返して辞めちゃった? 格好いいじゃないですか。
- 藤村
格好いいでしょ? でも、格好いいけど、食わなきゃならないんだよ。それで、四谷の文化放送の近くに、一番最初に俺が作ったキョードー横浜ぐらいの事務所をつくって、「ビリー・ヴォーン・オーケストラ事務局」とか、毎回、何とか事務局。会社の名前が何もないの。で、お金もないから、全部テレビ局にカバーしてもらうわけじゃない。で、何々事務局ってやっていて。でも、ダメだったんだろうね。それで、ビートルズの1年前ぐらいに、キョードーに助けてもらって、それでキョードー東京に入ったのよ。
- 佐々木
良かったですよね、ビートルズの時代から。
- 藤村
良かったですよ。だから、人生、あまり苦労したこともない。すごく楽しかったです。
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