ブレーキをかけすぎた社民党
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年11月15日
社民党の土井たか子さんが、衆議院選惨敗の責任を取って党首を辞任しました。これで日本の戦後政治をつくってきた55年体制は、名実ともにほぼ終わったということになります。土井さんは、良くも悪くも旧社会党の護憲という立場を守ってきた人でした。もちろん党首を辞任しても議員ではあるわけですから、発言は続けるでしょうが、政治的にはもはやほとんど意味がなくなってくるでしょう。
体質を変えられなかったことの帰結
ありていに言ってしまえば、社民党はまったく時代についていってなかったのです。資本家対労働者という対立があった時代が変質していく中で、いつまでも労働運動に依存した政党が存続することはできません。それに「社会主義政権は誤りを犯さない」というような考え方は、とうの昔に通用しなくなっているのに、旧社会党はそういった発言を時には繰り返しました。それが「北朝鮮が日本人を拉致するはずがない」というような姿勢につながるのです。
もともと社会党の村山富市さんが、政治の摩訶不思議で日本の首相になって、それまで違憲としてきた自衛隊を合憲としたあたりから、社会党は存在意義を失っていたと言うこともできます。それが何とか生き永らえてきたのは、ひとえに自民党に対抗する有力野党が存在しないという理由からでした。つまり、社民党と名前を変えようが何をしようが、政党の体質を変えなければ、恐竜のように滅びる運命だったのです。
その運命を逆転させるべく、土井さんが護憲主義者として、つまりやや右に振れた社会党を左に引き戻すべく登場したのですが、時代とは逆の方向に行ったのですから、むしろ引導を渡す役割を引き受けてしまったのかもしれません。
個人より党の問題だった辻元事件
そして辻元さんの秘書給与詐取事件でした。この事件は、辻元さん自身の責任はそれほど大きくはなかったでしょう。むしろ社会党時代から連綿として続いてきた習慣であったはずです。党の財政が苦しい中では、むしろ奨励されていたかもしれません。ですからこの問題が露呈したとき、あっさりと疑惑を認めて謝罪することができなかったのでしょう。そんなことをすれば、党の存立そのものにかかわったからです。
でも結局そのあいまいな処理が、社民党の存在を脅かしてしまったのです。今回の惨敗の背景に、辻元問題の処理のまずさがあったことは間違いありません。そして、次の党首になる福島さんには気の毒ですが、福島さんを後継者に選んだことは、さらに社民党の死につながるはずです。
「ミニ土井たか子」福島さんの行く末
なぜなら福島さんは、ある意味で「ミニ土井たか子」であるからです。彼女のテレビでの発言を聞いていると、まるで社民党の綱領を聞いているかのような気になります。現実の問題を綱領で裁くことはできません。むしろ、綱領が現実を常に追いかけていかなければならないのです。
福島さんのかつてのこんな発言を思い出します。裁判で有罪判決が出るまでは無罪と考える福島さんが(この考え方はまったく正しいのですが)、オウム真理教のことを「地下鉄でサリンガスをまいたとされるさる教団」と名前を出さずに呼んだのでした。しかし、本当にそう呼ぶことが必要でしょうか。それでは、たとえば鈴木宗男さんを「疑惑のデパート」と国会で追及することは正当なのでしょうか。つまり、ここに社民党の教条主義と同時に、ご都合主義を見てしまうのです。
戦後、ともすれば右に傾きがちだった日本にブレーキをかけてきた役割は認められていいはずです。しかしその役割に甘んじている間に、国民から置いていかれてしまったのでした。そこに気付くのがあまりにも遅すぎたということでしょう。自民党に小泉さんが登場したように、社民党にもそういう人が登場すれば、こんなことにはならなかったのではないでしょうか。