辻元さん「復活」を応援しますか
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年4月6日
社民党の辻元さんの辞め方について、みなさんからたくさんのご意見をいただきました。ある意味で彼女は、一般有権者の気分を代表する議員でした。みなさんの書かれたことを読んでいると、それがよくわかります。国会で「総理、総理」と連呼したり、「疑惑の総合商社」と叫んだりする姿は、変化を望む有権者に勇気を与えるものであったのかもしれません。だから多くの方が、辻元さんの復活を望まれているのだと思います。罪は罪として認めて、改めて選挙に出馬すれば、必ずまた議員になれると考えておられる人も多いでしょう。僕もそう思います。でも僕自身が彼女に投票するか、と聞かれたら、その答えは残念ながら「ノー」です。
別に一度「違法行為」を行ったからダメとは言いません。しかし選挙に出て、当選すれば「みそぎ」がすんだとして、口を拭ってしまうやり方は、あまりにも古い自民党体質であるように思えるからです。田中角栄がいわゆる「獄中選挙」を行い、当選したケースなど、僕にとってはあまりにも釈然としないものでした。
選挙で当選すれば「みそぎ」になるという論理は、あまりにも都合のいい論理に思えたからです。その気持ちは今でも変わりません。前回のコラムでも書いたように、僕自身は社民党議員である辻元さんが、ある意味で自民党的とも言える言い方をすることがいちばん気になるのです。「忘れた」とか「そういう認識はなかった」とか、これは自民党の議員が逃げ回るときに常用する言葉です。
清廉であるべき社民党だからこそ、辻元さんには自民党的な言い回しではない「国会議員としてあるべき高い倫理観」で語ってほしかったのです。疑いを持たれるような行為をしたならば、議員を辞職するべきであるという見本を示してほしかったのです。
そう考えてくると、このまま次の選挙に辻元さんが立候補するというのは、どうにもすっきりしません。もし自民党の疑惑議員が同じ行動を取ったら、野党は必ずこう攻撃するはずです。「疑惑を抱えたままで立候補をするというのは破廉恥である」。もし辻元さんが洗いざらいしゃべったらどうなるでしょう。秘書給与の流用は、社民党の「構造的な違法行為」であることが明らかになって、土井たか子党首の首すら危うくなるかもしれません。しかし結局のところそこまでやらなければ、社民党の存在価値がないとも言えるのです。なぜなら、わけのわからない永田町の論理を、国民にわかりやすくしなければならない。これこそ辻元さんが人気があった最大の理由であったと思えるからです。
政治家とは、そんなきれい事ではない。たしかにその通りでしょう。しかし、野党だからこそきれい事を実行してほしいとも思うのです。その覚悟があってこそ、与党の疑惑追及にも迫力が出るのではないでしょうか。ところで、みなさんは辻元さんが再度立候補したときに、彼女に投票しますか。