

英才教育、わが子にはいりません(シアン)
英才教育やたくさんの習い事をさせてみて可能性を引き出すことには、それなりの理論や実績があるので一つの子育て方法だと思いますが、わたしたち夫婦の理想はむしろ反対で、小さいうちは親がお金をかけて与えるものは最低限で、遊んでいろいろな人と触れ合って人間や人間関係、生活の知恵みたいなものを学んでほしいと考えます。だから、できるだけ外に連れ出して、自然の中で遊ばせる時間や家族、近所の方々に触れ合えるようにしています。お金をかけるのは、子どもが自分の言葉で自分の考えを親に説得できるようになる、小学高学年とか中学生くらいからがよいのかな、と思っています。学校も嫌ならより上の学校を目指す必要はないし、行きたければ目指せばよいと思います。行かなくたって、後から入り直したってよいと思います。結局は自分がやりたいと思った時が、その人にとってのベストタイムですから。ただし、子どもが本気をだした時は全面的に協力します。親として、転ばぬ先の杖を与えるより、転んで怪我をした時にそばにいてあげられる存在でいたいです。
日本という国では……(葉子リーヴズ・関東・30代)
健康で、愛情に包まれた人生を送ってくれれば、それで十分。日本では、平凡な人の方が孤独を感じずに済むのではないかと思う。自分のみならず、家族、夫の収入、社会的地位、子どもの成績、通う学校(私立or公立)なども含めて、自分と同じグループの中にいる人としか付き合いたがらない傾向があるように思う。だから、社会の中で独立し、すばらしいエリートとして周囲からの羨望の的となっているような女性が、じつは男性社会の中で孤立していたり、悩みを打ち明けられるような女友だちがいないことで寂しい思いをしている姿を見ると、少数派は孤独という現実は非常に残念だが、日本で生きる以上、多数派の平凡の中にいた方が生きやすいのかなと思ってしまう。こういった現状が変わっていくことを子、孫の世代のために切に願っている。
「平凡」を感じ取る感性(marupon)
わたしは、結婚していますが子どもはいません。でも、もし子どもがいたら何が「平凡」であるかをわかる子になってほしいと思います。宮部みゆきさんの『模倣犯』を最近読みましたが、主犯の「ピース」は自分が「非凡」であることに歪んだプライドを持ち、「平凡」は罪悪であり、平凡な人には非凡な自分が何をやってもいい、むしろそれを望んでいるとさえ考えて犯行に及びます。それに対し、平凡な人々(大衆)を一人一人の人間であることをイメージできない人は、ただの自己中心的な子どもだ、と凡人が指摘します。「非凡」な存在とは、うまく行けば「天才」や「スター」としてもてはやされますが、一歩間違えると反社会的な危ない人。「平凡」は大切なんだと教えたいと思っています。
わが甥(巽・大阪・未婚・41歳)
わたしの弟に男の子が生まれた時は、「ひょっとしてジャニーズに?」←誰もが考えること。少し大きくなってジャニーズは無理そうだと思い、大食漢で体が大きいことから「相撲部屋に入って花形力士に?」。やがてスポーツも勉強も苦手だとわかり「音楽関係とか……」、しかし凶悪な犯罪や陰湿ないじめが日々報道されるようになり、他人事とは思えず「もしあの甥が突然命を落としたら。元気に家を出て変わり果てた姿で帰ってきたら」と思うと、それだけで胸がつぶれるような気持ちになりました。エリートにならなくても、特別な才能で有名にならなくてもいい。一生うだつの上がらない人生でもいい、とにかく恐ろしい目に遭わずに無事に生きてくれたらと、心底願っています。
平凡に育って欲しかった(まるやままゆみ)
平凡に育ってほしかったです。普通に幼稚園に通って、ランドセルを背負って小学校に行って、一緒に歩いて、いっしょに遊んで、勉強する姿が見たかった。でも、病気の後遺症と闘う息子にとって、そんな平凡な成長でさえ、夢なのです。

平凡なんてつまらない(焼き魚)
わが子はわが子らしく、自分の頭で考え、意見を言える人間に育ってほしいと思っています。平凡って、定義がよくわからないですが、人並みなんて面白くないです。人の目を気にせず、自分のやりたいことをやるように、と思っています。バランスのとれた無難な子どもなど退屈です。
平凡を作っているのはわたしたち(来夏・既婚・31歳)
現在の教育の現場では「子どもを公平に扱う」という大義名分のもとに成績表をあいまいな評価に変えたり、運動会の順位さえ明確にすることを避ける傾向にあります。学芸会にも主役はひとりではなく何人かで分け合うことが多いですね……。わが子が選び取ったのがほかでもなく平凡な人生だった、というならば納得できますが、親や教育者たちが押し付けた人並みな人生しか知らずにすごしてしまうのはかわいそう。平凡=無個性では終わってほしくないですね。

生きていてくれるありがたさ(コアントロー)
うちの子どもは、生後すぐ病気のために手術しました。ほとんど死にかけていたといった状況でした。幸い命は助かって、今は元気になりました。赤ん坊の時は、やはり成長が「普通」より遅かったです。でも生きていてくれるだけでありがたい……と思っていたので、全然あせりませんでした。個性的だろうが平凡だろうが、元気に生きていてくれるだけで充分です。
自分の求める生き方をつらぬいてほしい(もなこ・大阪・既婚)
完全週5日制になり、子どもたちの学力低下が取りざたされている。この状況は、塾など教育産業にはもってこいのかきいれ時、といった感じだ。みんなの不安に拍車をかけるCMが多く見られる。わたしも将来子どもがどうなるのか、不安ではないといったら嘘になるが、子どものうちにしかできないことを優先したい。結果主義は、結局不確実だと思うから。すべての過程をじっくり味わいながら育ってくれればいい。自分の求める生き方を真剣に模索して、それに向かってどんな回り道をしてもあきらめず進んでほしい。足りない知識は、必要な時に補えばいいのだから。そんな当たり前のことが、今は非凡と呼ばれるにしても。
生活を楽しめる力のある人間に……(くうき・北海道)
きっと、平凡って何?という論議になりそうな「お題」ですね。「その子どもにとっての当たり前」が今の社会に適合しているかどうか、ただそれだけの基準でしかないんでしょう。普通とか、平凡とかはどうでもいいから、自分が生きることを楽しめる余裕をもてたらいいんじゃない?
正義の味方になってほしい(いつこ・九州・既婚・40代)
ヒーローものの見過ぎではなく、常に正しいものをみきわめる眼と心を養っていってもらいたい。二人の子どもも高校と中学になり、交際範囲や行動範囲も広くなっていくので、とくにそう感じます。これからは、大人の世界の矛盾に当たることもあるでしょうが、親として味方になって見守っていきたい。そして自分の道を見つけ、堂々と歩いてほしい。
平凡でもそうでなくてもOK(kazp)
現在もうすぐ2歳になる息子を子育て中の、まだまだ新米のママです。子どもにどんな人生を望むかといえば、「ひとりの自立した人間として社会で生きていく」ことができるのなら、どんな人生でもいいのではと考えます。好き勝手にやっていいということではなく、社会のルールは守るというのが前提です。そのルールを子どもに教えるのが、親の最低限の義務であり愛情であると思うのです。あとは「くうき」さんの言うように自分の人生をいかに楽しむか。これを伝えられればもう何も言うことはありません(^-^)。そのためには、わたしたち親も人生を楽しく生きていないといけないですけどね。

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