
地雷を踏んで強くなった(ヴェリーメロン・東京・パートナー有・36歳)
最初に地雷を踏んだのは、小学生の頃でした。「いじめ」にあっていましたが、一方的に「いじめ」られている自分に嫌気が差し、爆発。それからは、「いじめられっ子」でありながら、同じようにいじめられている子を救済したり、タッグを組んだり。おかげさまでだいぶ強くなりました。小学校卒業後も軽いいじめにあったことは何度もありますが、地雷を踏んだおかげで、その後はうまくかわせるようになりました。単に図々しくなったのかもしれません。
お互いに思いやりを持って(にゃんたん・千葉・パートナー有・32歳)
わたしも“nordさん”と同じで、母親から地雷を踏まれることが多いです。思いはまったく同じです。実はそう思っていることを母に伝え、お互い思いやりを持って接しようと実践しているところです。やはり言い争いがないのは、ホッとします。何とか続いてくれますように。
「言われたら嫌なこと」を言っておく(ぷらだりあ・埼玉・パートナー無・25歳)
自分の中のどの部分に地雷があるかは、他人にはわからないと思います。どういう話題、どういう態度が傷つくかなんて、よっぽど相手の性格を注意していない限り、察してあげるのは無理ではないでしょうか。わたしは、周りの人には事前に自分から「こういう言い方って傷つくよね」とか、「ああいうことを言われて嫌だったんだ」とアピールするようにしています。明るく、冗談ぽく。あんまり言うと気難しい人になってしまいますから。それでも何度も言う人は、極力かかわらないようにするか、割り切ってあきらめるかのどちらかです。悪気があって言ってるわけではない人に怒っても仕方ありませんし。
地雷の種類はさまざま(のほっち・山口・パートナー有・33歳)
親と言えども一人の人間なので、地雷の踏みあいは日常茶飯事です。わたしにとって、他人との地雷と親との地雷はちょっと種類が違うのです。親から踏まれた地雷はかなり「ツボ」を得ているだけにダメージも大きいのですが、治癒も早いです。しかし他人から踏まれた場合は予想外の場合が多く、後々まで痛みます。他人だからと割り切れそうなものなのかもしれませんが、地雷にも種類が多いように思います。
他人には気を使うが親となると……(MIYAさん・東京・パートナー有・31歳)
踏まれたと思ったことは何度も。普通の大学をでて普通の企業で働いていますが、高校まで音楽の道に進もうと思っていたので、生活や価値観、ものの考え方が、周りとはずいぶん違います。でも、もともと自分の考え方が他人とは違うんだと思い、人を許すことや、あらゆる人を傷つけないように気を使ってきました。
ただ、親には逆に何度も心の地雷を踏んでしまったかも。元来、悲観主義的な母親とはいまだに衝突します。わたしは楽観主義で限界などないと、前向きな生き方を好むのに対し、母親は堅実で世間体を気にする世代で、「絶対」「安定」を第一とします。子どもの頃は言い返すことができず、親子なのに理解し合えない悲しさを言葉で言い表せないもどかしさがありました。逆に今は、わたしのほうが働いているせいか、立場が強いと相手に感じさせてしまうらしく、そう思われないように特に気をつけています。