
「怖がり」は人を遠ざけてしまう(ありる)
地雷、わたしにもあります。年齢を重ねるにつれ、ありがちな地雷もだんだん見えるようになってきましたが、最近では「結婚・子ども・2人目・不妊・経済問題・親との関係・夫婦関係」などなど……。この人の地雷は一体なに? と怖がり、危ない話題は避けて、当り障りのない会話しかできないようになったことが逆に気になってきました。
踏んでしまった後、きちんとその人の爆発後の傷と向き合って対処する気があるなら、もっとちゃんと付き合っていける人がいるのかもしれません。「自分も踏まれたくないから、あなたのも踏まないように細心の注意を払うわ」。それは大人だけれど、とても現代風で結構だけれど、プライバシーの尊重だけれど、本当にそれが一番大事なことなんだろうか? むしろ、踏むかもしれないし踏まれるかもしれないけど、ちゃんとあなたと向き合いたいんだ、という相手をも避けてしまっていないだろうか。単に憶病になっていないだろうか。わからなくなってきています。
一番身近な人に言われることが多い(megamixweb・東京・パートナー有・34歳)
地雷を踏む人は、実は一番身近にいる人であることが多いのです。たとえば、わたしには「頑張れ」という言葉が地雷です。「言われなくても必死で頑張っているのに、これ以上、何をどう頑張れというの?」と思ってしまうのです。
ところが一番、身近な人は平気で言う。当人は自分のプライドにかかわることが地雷で、それ以外は地雷ではないタイプ。「あなたってダメな人ね」という類の言葉に激しく反応しますが、他人には平気で「頑張れ」を口にするのです。わたしはその人の地雷のタイプを勉強し、踏まないように気をつけるようにしましたが、結果的に、何か指摘しなくてはいけない時は、相手のプライド地雷が原因の失敗であることが多くて困ってしまいます。何より、相手から言われること自体が地雷になってしまうようで……。立ち入り不能状態です。もう少しだけ、地雷を撤去する努力をしてほしいと思うのですが。
親の一言が(Piupiu・神奈川・29歳)
小学生の頃、ピアノを習っていました。迎えに来た父親に、ほかの子のほうが先生によくみてもらっているじゃないか、といった主旨のことを言われてすごくショックだった覚えがあります。
両親ともに教師で、「ほかと比較をするな。うちはうち」という方針で育ててきた親が、まったく正反対のことを言うなんてというショックと、「勉強のように、頑張ればできるものではなく、ピアノという情操的なことで、それも先生との関係で比較された」と。頑張ってもなかなか克服できないことで指摘されたのが原因だったかな?と今になって考えます。
兄と比べられると(もなこ・大阪・パートナー有)
地域では、優秀で有名だった兄の影みたいな存在だった自分が嫌で。なるべく兄の影響のないところで生きてきました。親に兄と比べられると今でもカチンときます。年を取っても親の虚栄心を満たし続ける兄と、いろんな雑事を言いつけられるだけのわたし。割が合わない気がします。兄にも兄の苦労があるのでしょうが……。介護などの問題が出てくると確執が表面化しそうです。
関心を持ってほしいゆえに……(はなっち・兵庫・パートナー有・37歳)
知人で、人の心の中にズカズカ入ってきて、地雷を踏みつけることを日常としている人がいます。無神経な言葉、時には遠まわしに、時にストレートすぎるほど残酷に。当然、周りから嫌がられているのですが、人に嫌なことを言う割には、人のためによく動き、お世辞も上手なので、なぜか一人ぽっちにはなりません。
彼女を見ていて思うのは、いつも心が満たされていない気がします。常に人を傷付けることを言ったり、嫌味を言うのは自分に自信がないから。自分が安心できる場所にいないからではないでしょうか? みんな怖がって、彼女にはうわべだけの言葉しか言わないけれど、わたしが彼女に正面からキツイことを言うと、涙を流して素直に反省していました。誰でも自分を愛してほしいし、関心を持ってほしい。だけど、その表現がうまくいかないだけなんじゃないかな。
彼女は人の地雷を踏み続けていたけれど、本当は彼女が一番大きな地雷を抱え、そしてその地雷を踏まれるのが怖い反面、誰かに踏んでほしいと願っているのかもしれない。