ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第84回 金子 奈緒さん

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金子 奈緒さん
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幼稚園のときから、英語を習って育ちました
- 金子
幼稚園の時から、学校に行っていた記憶はあるんですよね。お休みの時に横田のアメリカンスクールにバスで行って1日遊んで、というか、授業を受けたりとかはしていました。
- 佐々木
そう。じゃあ幼稚園から、もう英語をやっているんだったら、小学校、中学校でどんどん上手になっていったんですね。
- 金子
そうですね。小学校の時は、途中までは通っていましたね。でも、ピアノとか、他の習い事の方になっちゃったんで、お休みしていました。だけど、中学に入った時に、英語を、「何でしゃべれるんだろう?」って思ったんです。最初、しゃべれるっていうことを忘れてて、「私、何で、全部先生が言っていることが分かるんだろう?」って初めて思ったんです。あまり、だから意識していなかったんでしょうね、英語っていう。
- 佐々木
それ、すごいですね(笑)。
- 金子
「あれっ?」って思ったんです。外国の先生が来た時に、すごく普通にしゃべって、すごくびっくりして、それで自分で「あれっ?」って。で、先生は「どこに住んでいたの?」って聞くし、「いや、日本、東京」って言うんだけど、それでちょっと「あれっ?」って思ったんです。で、それは親に感謝したんです。すごく変なんですけど、私。
- 佐々木
面白い。だけど、小学校の時ってブランクがあったのに、幼稚園と小学校低学年で徹底的に覚えたってことなのかしら?
- 金子
ですね。その時は、もう、たぶん英語で考えていたんでしょうね。お友達も外国の子がすごく多かったから。写真を見ても、アルバムを見ても、アメリカンスクールで写っている写真がすごく、圧倒的に多いんですよ。
- 佐々木
そう。でもそれは、日本の幼稚園に行って、日本の小学校に行っていて、土日だけだったのに?
- 金子
あと、平日夜は近くのお教室で。そこの関連でアメリカンスクールにも行っていたんで、そういう感じでしたね。英語がすごく多かったんです、ちっちゃい時、私の生活の中に。
- 佐々木
でも、ご家族と話すのは日本語?
- 金子
うん。母なんか関西弁ですよ(笑)。
- 佐々木
関西弁で。もう、いろんな言語が飛び交っている家庭だったんだ。お父さんは、でも、日本語で話すでしょ?
- 金子
もう全然、日本語で。
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