ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第58回 パク・ジョアン・スックチャさん

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パク・ジョアン・スックチャさん
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韓国人なのに韓国語が話せない
- 佐々木
ご両親はずっとアメリカに住んでいてほしいと思っただろうに、日本に戻ってきたのはなぜ?
- パク
アメリカのシカゴ郊外にある、電子メーカーに就職をしたんですけど、日本にも支社があったんです。それまでは私、ヨーロッパの美術館とか行ってて、西洋美術や音楽が好きだったんです。でも日本に来て、京都や他のアジア諸国、まぁタイとかですね、に行ったんです。そうしたら、もっと知りたいみたいな。
で、前の会社を辞めて、美術関係か文化関係か、なにかそっちの方の仕事をしたいって思ったんです。
- 佐々木
で、韓国の延世大学へ?
- パク
前の会社を辞めた時に、ただ私が1つね、やってみたいことは、韓国語の勉強だったのです。韓国人なのに韓国語がしゃべれないっていうことに対して、ずっと劣等感を持っていて。たとえばね、大学院に入らなかったら韓国に行こう、大学院を卒業した時に就職できなかったら韓国に語学留学に行こうと思ったら、大学院に入っちゃったり、就職しちゃったから、機会を逃しちゃったんですね。その時に普通の会社はもう嫌だと、私は自分の好きなことを仕事にしたい、私にとっては美術だったの。
- 佐々木
それで韓国。語学留学ですか? それは何年ぐらい?
- パク
1年半ぐらいです。半分は学校に行ってたんですけど、半分は働きながら、もっと韓国を知ろうとしました。
- 佐々木
それで?
- パク
日本に戻ってきた時に、私は美術関係の仕事に就きたかったんです。でも趣味を仕事にするっていうのは、やっぱりいろいろね。実際、ジョブハンティングしてみると、そんなに甘いもんじゃないっていうか……。そしたら人事を募集している会社があったので、今までの経験も生かせるということで、そちらに入社しました。
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