ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第32回 北澤きよみさん

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フィオレッラ・デル・コンテ(メッゾ・ソプラノ、コントラルト)
北澤きよみさん
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24歳。初めての主役に
- 佐々木
23歳でミラノ・スカラ座のオペラ研究科に行かれて、そこを25歳で卒業、その後プロのオペラ歌手となられた。
- 北澤
そうです。スカラ座の研究生でしたので、そこからスカラ座の舞台にちょこちょこと出ておりましたから。脇役とか、いろんな役で。またスカラ座のスペクタクルを毎日見られました。全部劇場の中が見えました。
- 佐々木
それを何年くらい? 主役を歌われたのはいつ?
- 北澤
主役がきたのは、最初が24歳のときです。スカラ座の2年目のときに、ピッコロ・テアトロというところで、ミラノ・スカラ座、アカデミア・ブレラ美術学校、ミラノの市が全部提携してやったんです。それがベンジャミン・ブリテン作曲『ノアの箱舟』です。一幕もののクリスマスの子ども向けのオペラだったんですけれど、それでイタリアデビューしましたね。
その後、ミラノ・ヴェルディ音楽院で、クルト・バイルとブレヒトの多難なオペラ『マハゴニー市の興亡』という三文オペラの中のオペラがありまして、これがドイツ語のオペラだったんですね。イタリア語に書き換えてやろうという話だったんですが、それでは音が不協和音で歌える人がいなかったんです。わたし自身、ブレヒトをやったことがあって、ドイツ語も話せましたので、それじゃあ、ということでアッバード校長にすぐに抜擢されました。
- 佐々木
それは大喜びでしたね。
- 北澤
そうでしたねえ! 最初は第2キャストだったんですよ。もちろん第1キャストはイタリア人で通しますから。でも第1が歌えないというので、代わってわたしが第1キャストで8日間通しました。
しゃべったり歌ったり踊ったり、というオペラだったので、声を減らしましてね。それにあのころはね、ヘルベルト・フォン・カラヤンが生きていて、ベルリンフィルで指揮棒を振っていたので、日本人のお弟子さんが仲間で、一緒にいろいろと仕事をしました。ベルリンの壁が破られる前でした。
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