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正宗エリザベスさん
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じゃあ、通訳になろう
- 正宗
はい。「じゃあ、通訳になろう」と思ったんですよ。
- 佐々木
それで大学院を出て初めての仕事が通訳?
- 正宗
初めて、通訳の仕事で日本に来たんです。奨学金をもらって、それで1年半ぐらい。
- 佐々木
オーストラリアから通訳として日本にいらしたというのはフリーランスだったんですか?
- 正宗
フリーだったんですよ。結構大変なんですよ、それが。
- 佐々木
よくわかります。そのときにユニカルと出会っていたら、一緒にできたかもしれませんね。
- 正宗
そうですね。最初に求職に行ったところでは、「あなたはオーストラリアの大学を出ているし、日本の大学を出ていないからだめです」というので……。
- 佐々木
え! そういうマインドとは決別したいです。
- 正宗
「英語のテストの添削の仕事だったらできますよ」と言われて、「それは私のやりたい仕事ではない」と。
- 佐々木
そうですか。それは何年ですか?
- 正宗
86年ぐらいですね。
- 佐々木
私が、フリーランスの通訳者翻訳者をネットワークして、語学のプロフェッショナルが、もっと有機的に活躍できるように提案する組織を作ろうと、ユニカルインターナショナルを設立したのが87年設立ですから、あの頃ご縁があったら面白かったですね。
- 正宗
そうですよね。
- 佐々木
マシンのように言葉の使い手を使うのではなくて、その人のキャラクター、パーソナリティーとか、専門分野とか、いろんなものを総合的に生かしたコミュニケーションのコンサルタントとして仕事をしよう、という概念でフリーランスの通訳者たちとネットワークを作って、起業したんです。すごく新しかったんですよ。
- 正宗
じゃあ、もしそのときに出会っていたら、私も選択を変えたかもしれないです。私も何で通訳を辞めたかというと、大使館にいっぱい雇ってもらって一緒にビジネスマンの話とかも通訳しにいったんですけど、やはり彼らは文化的な状況を分からずに、コミュニケーションの上でいろんな重要な間違いを犯しますよね。で、すごくフラストレーションがたまるんです。でも通訳としてはやっぱりそれはアドバイスできないんです、純粋にやらなければならないから。だから、通訳の勉強するのはいいけど実際にやるのは物足りないなと思ったんです
- 佐々木
そうなんです。だから、「コミュニケーションのコンサルタント」という概念で、会社を作ったんです。私なんかは日本で少し英語を勉強しただけの通訳者でしたけれども、それでも結局、語学だけというよりも、やっぱり今まさに仰ったように、場を読んで行動する部分を買ってもらっていたんです。
たとえば相手に5人ビジネスの人がいて、こっちに私を雇ってくれているアメリカ人なりオーストラリアの方なりがいたとすると、私は通訳をしながら突然「右から2番目の人がキーよ」とか、「左から2番目の人が今すごく頷いているから、あの人に行け」みたいなのをちょっとウィスパーしてあげるわけです。そうすると彼らはやっぱり大喜びで、交渉できた。つまり場を読んで教えてあげたりしていて随分喜ばれました。
で、私はやっぱりそういうことを喜んでくれるクライアントとうまく仕事をしたほうが、いいと思ったし、そう感じている通訳者が多いだろうと考えて、ユニカルを作ったんです。今では2500名の通訳者、翻訳者がいます。
- 正宗
本当にそうですよね。知り合っていたら、おもしろかったですね。
たまたまこの大使館のマーケティングオフィスで、若手の、スペシャルプロジェクトオフィサーの空きがあったから、ちょっとマーケティングのほうに行こうと思ったんですね。で、それを2年ぐらいやっていたら、ちょうどベンチャーファンドがオーストラリアから来て……。
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