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リシャール・コラスさん
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バナナを一束持って帰ってきた
- コラス
父は仕事で南米、アジア、アフリカ、ほとんどの大陸に行ってたんですね。60年代当時はテレビが今みたいに普及していなかったし、ああいう国に行くことがなかったときです。父はアフリカからね、これは1956、57年のことですけれど、バナナを一束持って帰ってきた。
バナナの束なんて、誰も見たことがなかったので、それを持って帰ってきたときは、変な話だけど、家で一番太陽が当たるところはどこかって。それでお手洗いに小さな窓があって、その上に置いておいたんですね。お手洗いをしながら、バナナを食べる。そういうような生活だった。いつも父は珍しいものを持って帰ってきてたんです。アボカドを持って帰ってきたときもありました。
- 佐々木
食べ物を持ってきちゃうんですね。
- コラス
そう。母親と、「これをどうやって食べるの」と聞いても、父は、そういえば聞かなかったって。ただマーケットで珍しいから買ってきたって。
- 佐々木
私の母の父、私の会ったことのないおじいちゃんは船の船長だったんです、世界を回る。飛行機じゃないので、しょっちゅうは帰ってこないんだけど、たぶんフランスにも行ったんでしょうけど、海外からいつも日本にはないようなカラフルな洋服を持って帰ってきたそうです。母は、真っ赤な靴はさすがに学校にはいていくのがとても恥ずかしかったので、泥を塗りつけて色をけしたとか。でも海外のものが家に入ってくるのは、楽しいでしょうね。
- コラス
そうです。でも父がなぜパイロットになったかというと、人に出会う、違う人に出会うため。かっこいいからじゃなくて、人に出会う、違う人に出会う。彼はどこに行っても、ホテルに閉じこもるのではなくて、外に出た。
昭和27、8年、父が初めて日本に来たときは、ご存じないと思いますが、外国人は東京から出るのに許可が必要だったんですよ。ビザが必要だったんですね。でも父は日本人のスチュワーデスを引っ張ってきて、「君、自分の国を見せろ」って言って、いろいろなところに行ったらしい。私もそういうようなところがあって、日本を「ここが私の国だ」「私に合う国だ」って思ったんです。
もう1つ、私はモロッコ育ちだから、フランスにはほとんどいなかった。高校を卒業してフランスに行ったら、すごくショックだった、ネガティブなショックだったんです。自分の国がこんなところかと、いつでも逃げたかった。だからブラジルに行きたかった。ブラジルにあこがれていたのは、本を読んだから。
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