ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第13回 渡辺武経さん

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ニフティ株式会社 元・代表取締役社長 現・特別顧問
渡辺武経さん
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オーストラリアの会社を1年で建て直す
- 渡辺
これにはびっくりしましてね。せっかくOEM(Original Equipment Manufacturing)で世界中に名を馳せつつあるじゃないかと。そんな時に、なぜカンガルーの国に行くんだろう(笑)。成績も上げているし、評価もされてきたのに、と思ったんですよ。
- 佐々木
北米やロンドンの時は、日本から出張していたわけですよね。でも、今度は「現地でやれ」と。
- 渡辺
結局、経営をやるということだったんですね。そのオーストラリアの会社は10年たっても利益が上がらないので、「おまえ、何とかしてこい」と(笑)。でも、わたしにはこういうのが向いているんですよ。ごちゃごちゃ言われると嫌になりますので。
まあ、最初の半年くらいは、おとなしくしいてようと思いましたけどね。その会社のどこが悪いかを探さなくちゃならないし、今度は社長も役員もいたので。
- 佐々木
最初から、いきなり社長として行ったわけではないんですね。
- 渡辺
現地の社長がいて、わたしはそれ以上の権限は持っていなかったんです。最初はね。
- 佐々木
役職的には、なんという立場にいたんですか。
- 渡辺
リエゾンオフィサーとか言うんですよ。リエゾンであって、ラインのマネジャーではないと。「親会社が言うから置いておけ」、そんな感じですよ。わたしは会社の様子を見ていて、そのうち社長自身が駄目なんだとわかった。たとえば、今月どれだけの売り上げがあって、どれだけロスしたかということを知らないんですよ。
そこで、「社長の権限をくれたらなんとかします」と、わたしを送り出した常務さんに掛け合った。なんとかできる自信はないんですよ。でも、やらないと駄目になっていくのはわかっていたから。
もちろん、最初はなかなか聞いてもらえなくて、ようやく「じゃあ二人で日本に来い」ということになった。
- 佐々木
オーストラリアの社長と渡辺さんが東京に来て、その常務さんと3人でディスカッションしたわけですね。
- 渡辺
そこで「この人は駄目だ」とはっきり言いました。最後は認めてくれて、わたしはジェネラルマネジャーとして、会社を動かす権限をもらった。
- 佐々木
社長はクビにならなかったんですか?
- 渡辺
しませんでしたね。気の毒でしたから。でも、その話し合いのあとで二人だけになった時、「日本人がトップになったら、全員が辞めるぞ」と脅しにかかってきた。それは困るなと思ったけど、わたしは「どうぞ」と言ったんですよ。「それより、あなたと心中することはできない」と。結局、1年で売り上げはプラスになりましたよ。
- 佐々木
その人は、その後も社長として残ったんですか?
- 渡辺
辞めないところがまたすごいんで(笑)。気に食わなかったと思いますよ。でも、彼から権限を取り上げたおかげで、ほかにも駄目な人がわかりましたから。結局、そういう人をクビにして優秀な人を入れれば、次々に優秀になっていくのですね。人は、自分より優秀な人はなかなか雇いませんから。
結果として会社は、もちろん製品がよかったということもあるのですが、わたしの駐在2年目から利益が出るようになりました。当時わたしを送り出した方からは褒められましたね。日本に帰ってきたら、わたしは凱旋将軍のような扱いになっていましたよ。「誰がやってもうまくいかなかったのに、よく1年で建て直したな」とずいぶん褒められました。
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