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ニフティ株式会社 元・代表取締役社長 現・特別顧問
渡辺武経さん
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「そろそろもうける仕事にまわれ」
佐々木
20代からそこに至るまでの間だけでも、数多くのチャレンジを自ら買って出た。そういったご自身のキャリアのつくり方に、満足感もあったわけでしょうね。
渡辺
すごく満足感があった。まあ、もともとSE時代にわずかな教育で第一線に出されて、大会社の生産管理システムを担当しろと言われたのも、実は大変なことだったんですよ。そこでも、結局自分しかいなかったわけですから。徹夜だろうが土日だろうが、関係なかった。それでそのままハワイに行っちゃって……。
佐々木
ハワイには、結局何年いらっしゃったんですか?
渡辺
3年半いて、ハワイの教育課長になって日本に帰ってきました。そして1年ぐらいしたころ、「そろそろもうける仕事にまわれ」と言われて、北米課長という役職に変わったんです。それが35歳のころだったかな。電子海外営業部という部署がありましてね。
佐々木
また、そこで大成功、すごく売ったんですね(笑)?
渡辺
そうなんです。これがまたね(笑)。
佐々木
ものを売りに行くという職種は初めてですよね。
渡辺
初めてですけど、精神は一緒で「当たって砕けろ」。
これもね、本当にいい時代に生きたと思いますよ。たとえば展示会なんかでいろいろな人に会って、名刺をもらうでしょう。当時はメールもファクスもなくて、テレックスでアポイントを取るんですよ。「こういうことをやっているので、そちらへ行きたい」、それで行くでしょ。そこから、つたない英語で “Fujitsu is the best company”とか言ってね(笑)。本当に日本から売りに行きましたよ。
佐々木
具体的には、何を売っていたんですか?
渡辺
ディスクです。コンピューターのメモリーをね。最初は富士通の技術者は鼻息が荒く、富士通が勝手につくったものに合うように、北米のコンピューターをつくり直させるとか、すごいことを言って(笑)。「富士通の偉い人が言うからそうしろ」なんて言われても、聞くわけないじゃないですか。相手は、逆に自分のコンピュータに合うものを探すわけだから。「これでは売れません」と会社に説明すると、「わかった」と。当時は、わたしなんかが言うことをトップの人も聞いてくれたんですよ。
佐々木
トップというのは、どのレベルの?
渡辺
常務とか、情報処理や技術系のトップですよね。そういう方がわたしの話を全部聞いて、直してくれて。3年ぐらいは何も売れなくて、始末書を書きましたけど。そっちが売れないものをつくっておいて、なんで自分が始末書なんか書かなきゃいけないんだって(笑)。
でも4年ぐらいたって、北米に合ったプロダクトをつくってくれるようになってからは売れ始めましてね。それで富士通の天下が何年も続いたんですよ。
そうなると、今度は「ロンドンには誰も行っていないな」と気付いて、北米課長のくせに、ロンドンまで行っちゃったんです。そうしたら、最初の出張で注文を2つ取りましたよ。
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