ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第13回 渡辺武経さん

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ニフティ株式会社 元・代表取締役社長 現・特別顧問
渡辺武経さん
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7カ月間でつくったハワイの学校
- 佐々木
そのころは、もう結婚されていたんですか?
- 渡辺
ええ。25歳の時に。これがまた、まだろくに仕事ができないころでしたから、この先だいじょうぶかな、なんて思ったんですけど(笑)。でも、まあなんとかなるんじゃないかと思ってね。
- 佐々木
では、ハワイには奥さまと一緒に行かれたんですね。
- 渡辺
もちろん。子どももおりましてね。子どもはもう5歳で、日本の幼稚園からいきなりハワイの学校に行ったので、彼も大変でしたよ。いきなり英語でしょう(笑)。何もわからない。
でも、こっちも大変ですよ。だってハワイに着いたのが9月で、「来年の4月に学校を開け」というわけですよ。7カ月しか期間を与えられずにですよ。
- 佐々木
すごい話ですよね。でも場所は決まっていたんですよね?
- 渡辺
土地はありましたが、建設予定の沼泥地があるだけでした。とにかくやるべきことは何かというと、まず教育局を探さなくてはならない。そこから始まっているんです。どこにあるかわからないんだから。そこへ行かないと、学校としての認可を取る申請もできない。
それから、カリキュラムをつくる。それがなければ、一体何を教えるの? って(笑)。
- 佐々木
それも決まっていなかったんですか?
- 渡辺
いや、いちおうハーバード大学みたいな大学院大学をつくろうと。
- 佐々木
だけど9月に行って、4月につくるというのは……。
- 渡辺
不可能に近い。だからわたしは“mission impossible”だと言ったんですよ。でもその期間でやれと言うんだから仕方ないし、東京ではすでに学生を集めちゃってましたから。学生といってもすごいですよ。当時の第一勧銀に入社して3、4年目の社員とか。
- 佐々木
まだ学校がないのに、生徒を集めていたんですか。
- 渡辺
ええ。こっちはまず教育局を探す、カリキュラムをどうするという段階なのに。
それで先生を探しにハワイ大学へ行くんですが、誰に会えばいいのかわからない(笑)。「こういうことを教えたい」と言っても、「英語で教えても、日本人にわかるわけがない」と相手にしてくれないし。だから、もしも誰も手伝ってくれなかったら、ダイヤモンドヘッドの上から飛び下りるとか(笑)。そんなことをいろいろ考えて。
- 佐々木
それは、すべて一人でやっていらっしゃったんですか?
- 渡辺
先輩の方がいらっしゃって全体のmanagementはわたしの責任ではなかったんですが、カリキュラムとかコンピューターに関しては実質、わたしでしたね。それにもかかわらず、わたしの語学力には多少問題もあったしね。教育部では英語で教えることもあったし、フィリピンでは何十人もの前で英語でレクチャーしたこともあったんですけど、本場アメリカに行って使うのは初めてで。
ハワイに着いて一週間くらいのころかな。コーヒーショップで「コーヒー」と言うと「コーク」が出てくるんですよ(笑)。試しに、翌日「コーク」と言ってみたら、「コーヒー」がきた(笑)。こういうレベルですよ。そんな調子で大学の先生に会って、カリキュラムをつくりたいと言っても、なかなか通じませんよ。本当に、どうしようかと思いましたね。
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