ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第13回 渡辺武経さん

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ニフティ株式会社 元・代表取締役社長 現・特別顧問
渡辺武経さん
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こうして教育する側になった
- 佐々木
SEになられて、よくわからないまま現場に行って、なんとかこなされたわけですよね。その後は?
- 渡辺
やっぱりお客さまの前で寝てしまって(笑)。これも、よくクビにならなかったと思うけど。でも、そのうち技術を人に教えられるようになって、教育部に行くことになったんです。
- 佐々木
ちょっと待ってください。お客さまのところで寝てしまうくらいの状況から、教育部で教えるようになるという、この間に何が起きたんですか?
- 渡辺
勉強して、まあ、会社の中における仕事を理解しようという勉強ですけど。やっているうちに、いろいろわかってくるんですよ。ばかじゃない限りはね(笑)。
- 佐々木
実は、その仕事に適性があっておもしろくなってきて、同時に、渡辺さんの実力が上がったということですか?
- 渡辺
そう。よくなっちゃうんですよ。その場所ごとに。それで横浜ゴムさんの方からは、ものすごく信頼されるようになって、仲よくなったりして。今でもお付き合いさせていただいてます。
- 佐々木
それはどういうことなんでしょう。
- 渡辺
そういうふうに生まれたんじゃないかな(笑)。
- 佐々木
そう言われると困っちゃうんですが(笑)。
- 渡辺
そうですね、結構責任感は強いですよね。かっこ悪いところを他人に見せたくないというか、仕事はきちっと終えたいと。
技術部の時はあきらめていましたけど、次を選んだ。自分が手を挙げて選んだところですから、ちゃんとして、かっこつけたいというプライドみたいなものですかね。するといずれよくなってきて、そこの専門家になってしまうと。
ただ、わたしは上司の言うことを、そのまま鵜のみにするのは嫌いなたちで、わりと自分で判断して、勝手にやってしまうところがありましてね。お客さまが喜ぶことをどんどんやったんですよ。
そうしたら、「会社の金を使い過ぎだ」とトップに怒られた。「なんでこんなに使った?」「お客さんが喜ぶからです」「自分のやったことを正しいと思うのか?」「はい」。そんなこともあって教育部に異動しました。
- 佐々木
そういう理由だったんですね(笑)。
- 渡辺
そうすればお客さまとは顔を合わせないし、直接お金を使うことはありませんから(笑)。まあ、人に教えられるようになったということでもあるんですけどね。
それで今度は教育を始めて、全国を飛び歩いて、いろいろな方にプログラムの書き方などを教えました。そういうことをしているうちに、32歳のころ、今度は「ハワイに学校をつくろう」という話が出た。それで、ハワイなら行ってみたいな、と。
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