ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第115回 藤村良典さん

115 |
藤村良典さん
|
|
|
防空壕で生まれたんですよ
- 佐々木
藤村さんって、どういうお子さんだったんですか?
- 藤村
防空壕で生まれたんですよ、10月10日に。だから、たぶん仕込んだのは、その前の元旦だと思うんですよ、防空壕で。で、十月十日(とつきとおか)で生まれたのが俺だった、みたいな。
- 佐々木
生まれたのが、防空壕?
- 藤村
本当ですよ。昭和19年ですから。戦争が終わるのが20年の8月でしょ? で、俺が19年の10月10日でしょ? もう、戦火がすごいときだから、その頃に、防空壕でオギャーッて生まれて。
- 佐々木
それで、どういう小学校、中学校時代を過ごしたんですか?
- 藤村
それで、山羊の乳で育って。
- 佐々木
それは、東京ですか?
- 藤村
東京です。大田区久が原。山羊の乳で育って。小さい頃は全然分からないから、飲んでたかも分からないけど、青臭くてね。それで、今では、乳製品が全部ダメ。牛乳も飲めなかったし。今は、チーズやヨーグルトを少々か、牛乳をコーヒーに入れる程度。トースト、フランスパンにちょっとバターをつけるのは最近は大丈夫なんだけど、バターは、絶対にダメなんです。すぐ分かるんです。ちょっと入れてもダメ。バターの温めちゃった臭いが……。だから、パン屋さんの前を通るのは、ものすごく苦手。
- 佐々木
全然知りませんでした。藤村さんご自身が最初に音楽に触れたのは、いつ頃ですか?
- 藤村
俺が、一番最初っていうと、小学校低学年、9〜10歳ぐらいのときに、国際会館でポール・アンカっていうのを観たんですよ。それが初めての外タレで。
- 佐々木
それは、誰に連れて行ってもらったんですか?
- 藤村
姉。うちは、まだ蓄音機の時代に、ジャズから入ってるんだよね。オヒョイ(藤村俊二氏)とか、その上の兄貴たちが、SP版、鉄の針で、蓄音機と、ゼンマイで回して、それを拡声器で聞く。それが全部ジャズだったの。だから、俺には、小さい頃からジャズから入ってるから、ずっと、オールデイズ、ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシス、あの時代。
- 佐々木
小・中学校は?
- 藤村
オヒョイや長男は暁星、慶応でね。オヒョイは、暁星から早稲田。姉は雙葉から女学館。その下から、うちは、お金がなくなったか知らないけど、日大になっちゃったのよ。それで俺が反発して、中学2年のときに下宿しちゃったの。高校1年で独立して、アパートを借りちゃったの。
- 佐々木
でも、独立したって言っても、高校生だったら、お金は……。
20/26
|
 |
|
|