
命をまっとうさせてあげることこそ、ステイタス(ルークのパパ・東京・パートナー有・38歳)
そもそも「高級ペット」という言い方はどうなんでしょう? 最近流行っている、Mダックスとかトイプードルなどは、乱暴な繁殖をさせられているものがほとんどだと聞きます。なのに、皆が欲しがるから値段だけ高級のようになっているのでは? それのどこが高級なのでしょう? どこにステイタスがあるのでしょう? 雑種だろうが、純血種だろうが、高かろうが、安かろうが、買おうが、拾った子であろうが、どんな動物でも、その命をまっとうさせてあげることの方が、ある意味ステイタスなのでは……。
飼ってみれば、高級なんて関係ない(なかのっち・石川・パートナー有・30歳)
確かに自分が所有していないいわゆる血統書付のペットを見ると、ステイタスを感じてしまう方がいるかもしれません。しかし、自分がオーナーになってみると、高級だろうが、そうでなかろうがまったく関係ありません。うちにいる子猫はこの春お寺の境内から救出されたのら猫です。名前はとらすけ(メスですが)、子どもの大の仲良しになっています。
犬や猫にとっての幸せとは?(Air・パートナー有・39歳)
子どもの頃から現在も常に犬や猫と生活を共にしてます。今思えば恵まれていたとも思います。純血種もいれば雑種もいました。もちろんステイタスの意識など全くなく、昔は家族という意識までもなく、あまりにも当たり前すぎる存在でした。子どもなりに「別れ(死)」について学んだのも犬を通してでした。最近思うのは、犬や猫たちにとっての幸せとは何か? です。それを意識すること自体、人間のおせっかいかもしれませんが、家庭内で人間の意志によって動物とつき合う以上、多くの人がしっかりと意識しなければいけないと思います。
最後まで生涯を担う気持ちで(さくらのママ・東京・パートナー有・56歳)
「さくらのママ」という名前の「さくら」も家族の一員であるゴールデンレトリーバーの名前です。最近10歳を迎えることができました。ステイタスなんて考えた事もありません。日本人は動物を擬人化しやすく、それに対して「動物は動物だから」という意見もあり、それも納得しています。しかし動物は、言葉そのものも、意味も、その場の雰囲気もよく理解をし、その中の弱者に寄り添う事も知っています。ご紹介の文章にもあったように最後まで生涯を担う気持ちで動物を飼って欲しいと常々思っています。大型犬の10歳は年齢的にも高齢ですし、病気も出ます。今後は犬らしくをモットーに最後まで楽しんで一緒に暮らしたいと考えています。
ペット業界に規制を(よんよん・福岡・パートナー有・39歳)
高級ペットという概念は業界が作り上げたものでしょう。本来、犬や猫は身近な動物でしたし、なんとなくそばにいたり、あるいは、付かず離れずといったものではないでしょうか。ペットブームが悲惨な動物たちを生み出す要因になっていると思います。ペット業界にきちんとした規制が必要です。命のセールなど、本来あってはならないことです。
純粋な気持ちで家族の一員を受け入れて(柴犬@アメリカ・サンフランシスコ・パートナー有・39歳)
「高級」の意味するところからまず理解できません。縁あってやってきた子(犬)はどんな子であっても家族です。高級かどうかなんてどう定義されるのでしょうか。チャンピオン犬やその子は高級、純血犬はちょっと高級、で雑種犬は……、などという定義は商業主義のペットショップやブリーダーが作り上げているご都合主義だと言いたいです。人間はみな人間。だから同じ生命を持って生まれてきた犬達もみな平等であるはず。私はたまたまアメリカに住んでいるため、犬に対する感覚も違ってきているかもしれませんが、犬(動物)はすべて家族の一員。地元では、動物愛護センター(SPCA)から譲り受けた犬のほうがオーナーも誇らしげですよ。家族を迎える前に、まずオーナーが「高級」なんていう意味不明かつ低次元な発想は捨てて純粋な気持ちでワンを家族として受け入れてほしい、と個人的にいつも願っています。