
ピアノマンの必然性を知りたい(楽舞・東京・パートナー無)
私は、ピアノマンの素性も知りたいが、もし仮に 彼が国外逃亡を図った人の場合はこんなに、世界的に有名になれば身柄が保障されるのかなとか。プロモーションであれば、戦場のピアニストのリバイバルかなーとか、リバイバルの場合は、実話に基づいているので、本人がどんな反応をするのかなーとか、細かいことはとても気になります。でも一番知りたいのは、なぜそこまでする必要があったのかです。非営利・営利はともかく、彼がここまでする本当の理由が知りたいです。なぜなら、それが近代資本主義や現代社会における人としてのあり方を考えるためのすごく大事なポイントのように感じるからです。
他に取り上げられるべきニュースは(rogko・新潟・パートナー有・31歳)
正直知りたいけど、有名ピアニストなら今ごろ分かっているわけだし、このニュースを見て「戦場のピアニスト」のストーリーとダブってしまいました。マスコミが取り上げているから知りたいだけで他のニュースが大きく取り上げられてくれば忘れてしまうと思います。「レッサーパンダの風太」のニュースは、他にネタがないのかなと思ってしまいました。もっと拉致事件とか真剣に取り上げなければならない問題があるのに、私にとってはどうでもいいことです。それに専門家が得意になってコメントしていましたがそれだって実際と違ってたわけだし。ほのぼのした内容でいいとは思いますが 「動物奇想天外」あたりの番組で取り上げればいいこと。違うでしょうか……?
千葉市動物公園には行けなくなった(IPウーマン・36歳)
ピアノマンが誰なのか判明した、というニュースは知りたいですが、自分で調べようとか、そういうことは思わないです。それよりも我が家にとって「風太」問題の方が深刻です。千葉市動物公園は我が家の憩いの場。いつも空いているし動物はたくさんいるし、安心して子供を遊ばせることができる貴重な場所。それなのに風太騒動で当分見合わせることに……。飼育係の話によると、二足歩行自体はそんなに珍しいことではないそうですし(あそこまで美しい立ち姿はあまりないそうですが)、どうしてここまで加熱するのか不思議です。パンダはストレスに弱い動物なので、風太が未知の体験に体調を崩してしまうことも心配です。アザラシ騒動の時も思いましたが、動物ネタで盛り上がっているときは、一応日本は平和なのかな、と。

エンターテインメント的ニュース(うらも・東京・パートナー有・34歳)
誰であるかは興味はありません。「何が真実か」であれば興味があります。おしなべてTVの報道は映像が付くため視覚的な影響を受けやすいと思います。ピアノマンの容姿があれだけ端正であるので映像のニュースとして流しやすい部分があるのでしょうが例えば本当に瀕死の方で衣服もぼろぼろ、顔立ちも端正といえない方だったらここまでニュースになるだろうかという疑問も持っています。時としてエンターテイメント的ニュースも楽しめますがどの局でも事実を伝えるニュースよりもエンターテイメント的なニュースや、主観の入った報道が多いことは常々不満に思っていることです。レッサーパンダだけではなく動物の思いもかけない映像は確かに見ていて心が和むものですがそこに集中して見に行く人の気持ちもよく理解できません。近所であれば話は別ですが。また毎日毎日その映像を出すマスコミの姿勢も不満です。もっと重要なニュースもあるでしょうといいたくなることしきりです。
「みんなが知りたがっている」という幻想(samin・東京・パートナー無・42歳)
どっちでもいいこと、というのが本音でしょうか。日本の常識、世界の非常識という言葉を聞いたことがありますが、投稿にもありましたように日本で話題になっていることが世界でも話題になっていると思ったら大間違いのよい例なのでしょう。みんなが知っている・知りたがっているという幻想に陥りがちの国民性、怖い気がします。
野次馬の気が知れません(senjuan・岐阜・パートナー無・37歳)
興味がないとは言いきれないですが、人を詮索するのはどうかな? と思います。その人が本当に望んでいるのなら探す努力を周りがしてあげるのも必要でしょうが、本人が自らの意思で記憶を消しているのならそれを戻し、元の環境に戻すことが良いとは思いません。レッサーパンダの風太にしても、特別騒ぐことではないと思います。環境が変わってストレスをうけたら死んでしまう動物もいます。とりわけ特殊なことでもなく習性の一つではないでしょうか? それにさきの、あざらし、クジラの時といい何かとニュースを聞いてつめかける野次馬の気が知れません。テレビで見ているほうがよっぽどよく見られますし(笑)。うちには3匹の猫がいますが、そのうちの1匹が風太そっくりの立ちかたをして周りを見ています。けれど、特異なこととは思っていません。
ドラマ性や外見が重んじられること(コリエコリコ・東京・パートナー有)
ちょっと前になりますが、どこかの番組でスウェーデンかどこか北欧で保護された、やはり記憶喪失の青年の話をしていました。アジア人の外見をもつ彼はどうやら日系か日本で過ごしたことがあるようで、様々な言葉の中で日本語に反応したようでした。現在滞在国での福祉援助を受けながら自立を図っている姿がでましたが、いまだに身元はわからないようでした。日系の人かも、というところで私は興味をひかれたのですが、今回のニュースに接してピアノマンより日本人にとって身近であるはずのニュースなのに、同胞である人々の興味は低いのだな、と感じました。背景のドラマ性や人物の外見がニュースの内容の重要性より重んじられているように感じて複雑な気持ちになりました。私はピアノマンよりもその日系の彼の身元が判明することを願っています。