
手にしたものが、ピアノだったからこそ(なりきち)
知りたいです。ピアノマンのルックスがあのような感じではなく、おびえたような目をするわけでもなく、手にしたものがピアノではなくほかの楽器、もしくは全然違うこと(たとえば縄跳びを何回もする、とか)だったらニュースにならないでしょうね。ピアノだからロマンチックでいいんですよね。
付加価値となるエピソード(月の猫・神奈川・38歳)
私も知りたい派なのですが、たとえばその原因はいろいろあります。彼が結構いい男であること、タキシードを着ていたこと、びしょぬれだったこと、ピアノをひきこなすこと。ようは、彼が「単なる記憶喪失者」ではなく、付加価値のような色々なエピソードを持っているから気になるのです。これがもし、みてくれは普通の男で、洋服もボロボロの安物で、特技も何もなければ、たぶんニュースにもなりえなかったのではないでしょうか。
非情さや悲惨さのないニュース(梶本洋子・東京・パートナー有・52歳)
テレビを置かず、新聞も取っていません。新聞社系のニュースサイトが外からの主な情報源である私にとって、「謎のピアノマン」の話題は一度しか目にすることがありませんでした。まるでミステリーの最初の数ページを読んでいるような錯覚を覚え、この先の筋書きを推理するように、「一体全体どういうわけでこうなったのだろうか」「結局のところ、彼は誰なのか」と興味を持ちました。遊園地で迷子になった子供を見守るような気持ちで、かわいそうではあるけれど、そこに非情さや悲惨さ、くだらなさなどのない、穏やかさに見守ることのできる話題であるからこそ、今皆がこのテーマに釘付けになるのではないかと思います。そして緊急性もなければ、政治的・経済的な重要性もないからこそ、新聞社系のニュースサイトには掲載されないという現状。ある意味ではテレビという映像メディアや紙のメディアの存在価値はこのへんにあるのではないかと、私は考えます。
謎を作り出しているのはマスコミ(e-mayumi・北海道・パートナー無・30歳)
誰であるかを知りたい、ということは、彼の名前、彼の経歴、彼が住んでいた場所等々、彼の過去を知りたいということなのでしょう。けれど、よく考えてみると、それを知ったところで、私にとって彼の存在はさほど変わるものではないのですよね。謎を作り出しているのは、マスコミなのかもしれません。ドラマティックな状況が重なったために取材源となってしまったということですね。興味があるのは彼の今後。彼が幸せに暮らしていくことを願いたいです。
パフォーマンスなのでは? (めぐ)
確かに、興味はあります。ピアノマンのドラマ性にひかれます。ただ、うがった見方をすれば、こんな世の中なので、ピアノマンのパフォーマンスではないかという気も正直、ちょっとだけしています。こんな風に捉えてしまうのは私がひねくれているせいなのか。こんな見方は杞憂に終ることを祈っています。

メディアの策略を感じる(robbin・神奈川・パートナー有・36歳)
特に知りたいとは思いません。何か、メディアの策略のようなものを感じるからかもしれません。もし報道されている事が真実で、ピアノマンが本当に記憶喪失なのだとしても、自分が誰か知りたいかどうかはピアノマン自身の問題であり、世間が(それも世界中の人が)騒ぎ立てるようなことではないと思うからです。謎を謎として盛り上げるためにさまざまな策略を巡らせているのでは? などと勘繰りたくなってしまいます。メディアというものは、大衆がこうであって欲しいと望むことを報道することもできるからです。(報道する側の良心の問題とは別にして)。本当にピアノマン自身が自分が誰か知りたくてメディアを利用しているのなら、全世界で協力してあげる事は、メディアにしかできない素晴らしいことだと思うのですが。ちょっと懐疑的過ぎるでしょうか?
知ってしまったらつまらなくなる(りめっと・埼玉・パートナー有・35歳)
この「謎のピアノマン」には非常に興味があります。このニュースはとてもとても気になります。でも、この「彼が誰か知りたいか?」という質問を自問したとき、「誰かがわかってしまったら、つまらないのではないか?」と思いました。むしろ、私が興味があるのは、彼という人間が現れたことによる周りの反応、ニュース性なのではないかと気づいたのです。今までの展開(何もしゃべらず、ピアノでしかコミュニケーションできない。しかもそのピアノの腕前はプロ並み)が、まるで映画か小説のような話であり、そのようなことが実際に起こっている、ということにワクワクしているわけです。「今日はどうだろう? 何か新しい事をしたのか? 何か変化が起こったか?」という事には興味がありますが、最終的に彼が誰かがわかったら、とてもつまらなくなるのではないか、という気がしはじめました。