
長崎の幼児殺害事件の背景にあるもの
(きよぴぃ・香川・パートナー有)
同じ歳の長男と重なり、ご家族のことを思うと胸が詰まる思いがします。やり切れないのは、犯人が12歳の子どもだということ。犯罪の低年齢化が進んでいる昨今ですが、子育てをしていると、生まれながらの犯罪者などいないと感じています。家族の形も多様化し、豊かになった日本。便利な暮らしを手に入れるたびに、わたしたちは忘れてはいけない何かを手放しているんじゃないでしょうか。一人ひとりが根本を見直すことが、子どもたちを犯罪から守ることにつながるのだと思っています。
神戸の事件の背景も市民にはなかなか真相が伝えられず、子育てにおいての教訓にもできなかったんじゃないか。同じような事件でこれ以上罪のない子どもたちの未来が消えていかないよう、少年だというだけで、腫れ物にさわるような扱いをせず、事件の背景をきちんと伝えてほしい。同じ過ちを繰り返すほど、愚かなことはない。長崎の少年のことも、注意して見ていない限り、今どうなっているのかなんて、わかりません。他人事ではなく、常に自分と置き換えて考えていくようにしていきたいです。
医療によって、苦しむ人が出ないように
(neco・神奈川・パートナー有・41歳)
最近も頻繁に報道されている医療過誤の問題です。以前、横浜市立大学病院で患者取り違え事故が起きたとき、かなり医療事故の問題がクローズアップされたと記憶していますが、このところの医療過誤の報道を見る限り、医療現場の体制は改善されていなかったと思わざるをえません。医療過誤によって失われた健康や生命は、裁判で勝訴しようと賠償金が支払われようと、残念ながら戻ってくるものではありません。重要なことは、事件を契機にして問題点を改善して、今後は事故を起こさないということです。医療過誤の問題が、単に医療に対する不信感をあおるものにならず、今度こそ医療現場のシステム改善や、医療の在り方を見直すことにつながればよいと思います。わたし自身、家族が医療過誤の犠牲になっていますから、心からそう願っています。
心と体と頭、そして実感が伴った成長が鍵
(holmeswat・福岡・パートナー有・38歳)
オウムの一連の事件や、神戸や長崎の少年犯罪、幼児虐待と挙げればきりがありません。これらの犯罪に共通することは、今の日本の社会の中で、個人として、またそれぞれの立場において、いかに成長して生きていくかが見えていないことにあると思うのです。組織犯罪であれば、罰則・規則である程度抑制もできます。しかし、先に挙げた一連の事件は、あまりにも根幹に触れる問題であるがゆえに、実に悩ましい限りです。心と体と頭、そして実感が伴った成長が鍵なのでは? それは子どもだけでなく、大人にも言えることではないか。バランスの悪い自分を自ら振り返り、そう思います。
「事件」ではなく「テレビ番組」の一つになってしまう
(Eru)
実は、もうたくさんの事件を忘れてしまっています。地下鉄サリン事件も、和歌山毒物カレー事件も、広島のバス乗っ取り事件も、覚えているのはまだ記憶に新しい事件ばかり。風化させたくないと思うような事件は、実はもう記憶の彼方にあるような気がします。余談ですが、事件のあった池田小学校の前を通った時に、携帯のカメラで校門を撮影している若い女性を見かけました。何のために撮影するのか、撮影した後どうするのか、わたしにはその行動に興味があった反面、理解しがたい行為でした。事件のとらえ方というのは人それぞれなのでしょうが、本質から外れたところで大騒ぎするだけでは、何の解決にもならないのではないかと思います。ただ「かわいそう」とか「怖い」と思うだけでなく、そこから先に問題意識と解決策を考える気持ちがないと、「事件」は事実ではなく「テレビ番組」の一つというとらえ方しかできないのではないかと思います。
語り合うことによって歴史をつくっていく
(veronique・フランス・パートナー無・30歳)
やはり最も忘れられてはならないのは戦争体験だと思います。ちなみにフランス語では「歴史」と「物語」は同じ一つの単語“histoire”です。もちろん戦争を体験した世代ではありませんが、親や祖父母世代の体験を語ってもらうことで歴史を共有していく、多くの人と語り合うことによって歴史をつくっていくという作業を忘れてはならないと思います。
あの日から、自分の生き方に対する考え方が変わった(Kylin・大阪・パートナー有・44歳)
風化させたくない事件のトップは、1995年の阪神・淡路大震災の教訓です。建築設計という職業をやる者としてだけではなく、多くの方々と同様、あれほどのカルチャー・ショックを受けた経験はありません。被災地に入った際に、目の当たりにした惨状の記憶、がれきの下に生き埋めになった人を助けることができなかった悔恨や無力感、報道というものの在り方に対する憤り、「ボランティア」という言葉の本当の意味を知りました。あの日から、自分の生き方に対する考え方が変わったことは明らかです。
気に掛けていく余裕がないのが現状?(melissa)
阪神大震災や奥尻島の地震、サリン事件などもう10年前の事件ですが、これからも風化させず、過去の経験から学ぶ姿勢を失わずにいたいです。あともう1点、とくに風化させたくないのは未解決事件です。「世田谷の一家殺害事件」は当時はワイドショーで派手に報道されていましたが、新しい情報がなくなると報道されなくなりますね。どこかで犯人がまだ普通に生活していると考えると怖いし、被害者のご家族を思うと悔しい気持ちになります。「大阪での幼女連れ去り」「万引きの犯人と間違えられた男性が心臓麻痺で亡くなった事件」など解決していませんが、その後の情報を知るすべもなく残念です。新しい事件が次々と起こるので、過去の未解決事件まで報道、気にかけていく余裕がマスコミにも一般市民にもないのが現状なのでしょうか。
「共感はできないが理解できる」事件(aim↑・29歳)
ありすぎます。大きな事件は、裁判のたびにニュースを目にして忘れないけれど、大体直後に驚いて、考えて、終わってしまいます。迷宮入りした事件もたくさんあると思いますが、一番初めに浮かんだのは若山春奈ちゃん殺害事件の山田被告の顔でした。息子と同い年でちょうど母親同士の関係を考えていた時期でもあり、「共感はできないが理解できる」事件した。その後も気になり続け、ノンフィクション書籍も読みました。殺人大国になりつつある今、小さい事件かもしれませんが、心情がわからないでもなかっただけにわたしの中では風化できません。
娘二人のために家族で対策を講じた(ありる)
高速道路で、泥酔状態のトラック運転手が一家4人の車に追突し、チャイルドシート上の女の子2人が両親の目の前で生きながら焼かれた事件です。ご両親は、その後交通環境に関する啓蒙活動をされていらっしゃいます。なかなかできないことだと思います。あの後、道路交通法は改正されましたが、本当に泥酔トラックは減っているでしょうか? トラックに限らず、厳しくなったけど平気、と飲んでいる運転手をいまだに見かけます。
通話しながら、新聞を読みながら、携帯メールをしながら運転してる人もいる。ハンドルを握る人それぞれが自分のこととして受け止めなくてはいけないと思います。また、事件後、同じく娘2人を抱える身として、「もし車が危なくなったら、チャイルドシートごと外して引きずるしかない」「ドアが開かないときには、チャイルドシートのベルトを切れるように裁ちばさみをダッシュボードに常備」などと夫と話し合い、メーカーに確認したりこともあります。
政治への熱いエネルギーが爆発した最後の事件(しろりむ・三重・パートナー無・35歳)
天安門事件はおそらく生涯忘れられない事件で、風化させたくないと思っています。中国の学生があんなにも必死で訴えた民主化、天安門広場を占拠したデモ学生たちの中に突っ込んでいく戦車・装甲車。日本の60年代を知らないわたしには衝撃でした。人間は政治的な生き物なのだ、と鳥肌が立ったのを覚えています。普段、ウエディングドレスの衣装など着てテレビの歌番組で歌っていたテレサ・テンが、素顔のまま、鉢巻をして香港の集会に駆けつけ、そこで涙を流しながら歌っている映像もずっと頭の中に残っています。天安門から15年。今はどちらかというと、なんでも経済中心ですし、イデオロギーなんて言葉もほとんど死語になっていますが、天安門事件は人間の持つ政治への熱いエネルギーが爆発した最後の事件だったのかもしれません。
できるだけ人の気持ちに敏感な自分でいたい(aming・兵庫・パートナー無・32歳)
阪神・淡路大震災です。あの恐怖はニ度と味わいたくはないのですが、それでも忘れてはいけないことをたくさん学びました。たとえば、あれだけ人は他人に優しくなれるということ。人の痛みに共感し合えること。あの静かな、だけどたしかに生きている喜びを全員がかみ締めていた感覚を絶対に忘れたくはないと思っています。しかし、その裏で孤独に亡くなられた方の多さを忘れてもいけない。弱い立場の方がとことん「弱者」になってしまっていたことに、後から気付きました。
そして、余震が続き安眠とは程遠い生活を余儀なくしていたわれわれの前で、「この地震が東京で起きたのではなくてよかった」とコメントした識者がいました。乾パンなどを買い占めて、「だってライフラインが止まっちゃうんでしょ?」と言った女性もいました。今思い出しても寒気のする鈍感さです。人の気持ちの温かさに触れた一方で、共感できない人の恐さにも触れました。いつも常に前者でありたい。できるだけ敏感な自分でいたい。そのためにも震災は絶対に忘れてはいけないと思っています。
すべて自分の身近に引き寄せ(コアントロー・関西・パートナー有・39歳)
最近1冊の本を読みました。神戸連続児童殺傷事件の被害者、山下彩花ちゃんの母親、山下京子さんの2冊目の手記です。今まで彼女の手記をなかなか手にすることができませんでした。なぜなら、被害者の母親の、犯人への許しがたい気持ちが、慟哭(どうこく)となって本の中を満たしているのではないかという危惧があったからです。子どもを持つ母親として、その慟哭に引きずられることを恐れていました。しかしその手記には、加害者男性への恨みではなく、自分自身の心の動きを克明に記してありました。わが子が殺害されるという事件を、けっして運命だとあきらめることなく、前向きにとらえ、また加害者への憎しみに終始することもなく、苦しみの中から立ち上がろうとしているのです。
この本を読んで、子どもが被害者になり、少年が加害者になるという昨今の事件を、自分たちから遠い世界の事件として風化させてはならないと思いました。被害者も加害者も、すべて自分の身近に引き寄せ、どうすれば同様の事件が起こらないようになるのか、一人ひとりが真摯(しんし)に考えつづけなければいけないと思います。
討論するばかりでなく、「行動」に移さなければ(リリア・愛知・34歳)
風化させたくない事件とは、やはりまず第一に未解決事件です。捜査してもらえなくなった被害者遺族の方たちが、目撃者探しのため自分たちでビラを配ったり、専門の方に依頼して証拠集めや現場検証をしたりしています。とても孤独な作業だと思いますし、危険でもあると思います。中には多額な懸賞金を出すご遺族まで。このようなお金が動かなくてもプライバシーを完全に守るシステムを意識し、事件に関するたとえ小さなことでも安心してお話ができるようになることも、解決への道にとても大きいと思います。世間のかかわりたくないという他人事な意識が、未解決事件を増やしていることも事実です。あとは、犯人逮捕はされた事件だとしても、課題を残したままでは犠牲者の死を無駄にしてしまいます。討論するばかりでなく、「行動」に移さなければ、事件は減るばかりか増えていく一方です。もう十分な危険サインが出ています。