

毎日楽しみでした(既婚・36歳)
給食大好きでした。家が貧乏だったので、いつも野菜いためばかり。給食では、シチューや揚げパン、たまに出るコーヒー牛乳など、いろんなメニューが楽しめました。美味しくないって人が多かったけど、わたしは、毎日楽しみでした。
食事の楽しさを教えて欲しい(Maja)
給食のメニューは時代と共におしゃれになっているようで、季節のメニューや健康食、玄米など栄養士さんの工夫が見られます。食べるときに楽しく話をしながら食べられればよいのですが、息子が小学校1年の時、担任の先生が「食事は20分、それ食え、やれ食え、黙って食え」という給食指導をしていてショックを覚えました。栄養ばかりでなく、食事の楽しさを教えて欲しいものです。
残したパンはお残し袋に入れて持ち帰り(出海・船橋市・未婚・30歳)
わたしが好きだったのは、焼きそば。それから、三角形のプラスチック容器でみかんがはいっている白いプリン。牛乳に入れて飲むミルメーク。パンは残すことが多くて、いつもビニールのお残し袋に入れて持って帰ってきた。そういえば、学校を休むと、給食のパンだけはお友達がおうちまで届けてくれたっけ。わたしは食べずに、母がおやつとして有り難く頂戴していました。
給食が食べたくて教員を目指す友人(未婚・20歳)
給食ってやっぱり小学校・中学校の頃の楽しみの一つだったと思う。好きなメニューの日はお昼時間が待ち遠しくて朝からワクワクしていたのを覚えています。特に忘れられないのはあげパン、わかめごはんかな〜。もう一度食べるために真剣に中学の教員目指している友達もいます! 恐るべし給食の威力!
パンの焼けるいい匂い(かすたーどくりーむ・既婚・32歳)
メニューというわけではないのですが、小学校のパンが大好きでした。というのもわたしが通っていた小学校のすぐ裏がパン工場だったのです。11時くらいになるとパンの焼けるいい匂いがただよってくるのです。先生方もお腹がすいたなァなんて言っておりました。クラスの男のコの中には焼きたてで、フワフワなのをいいことに小さく小さくまるめて一口で食べてる子もいました。とくにちょっと甘めのたまごパンは絶品でした。今、思い出しても本当に幸せな給食でした。

二度と嫌(tomiki)
大っ嫌いだった……。必ず食べられないものが入っているし、何で外国みたいに、ピックアップ方式じゃないかと恨めしかった……。二度と嫌。
よい思い出よりも嫌だった事を思い出す(ごんた)
もう20年近く給食生活から離れておりますが、小・中学校時代の『ご飯に牛乳』というメニューは許せないものがありました。もう、大嫌いでした。米飯給食が始まった初期の初期、多分栄養士さんも試行錯誤だったのでしょう。米飯のときは、和定食風にしたり、味噌汁やカレーのメニュー、フリカケなどがありました。それから、なぜ給食って個人の食欲に応じた量にしてくれなかったんでしょうね。食パン2枚やコッペパン1個、全く食べられませんでした。今でも無理です。よい思い出よりも嫌だった事ばかり思い出します。
昼休みをつぶしてまで……(Mika・31歳)
牛乳がどうしても飲めない子に、努力目標という美名の下、担任教師が他の生徒を巻き込み昼休みをつぶしてまで、飲み干すように強要した。クラスメートはその子を注視し「がんばれー! 」を連呼。みんなその雰囲気に陶酔していた。小学一年生だったがその時、同じでならねば認めない集団の恐ろしさを感じて、その中ですくんだ。ほんの一例ですが、わたしにとって給食という言葉は、無理強いを連想させます。

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