

何もかもがうらやましく思えます(まるやままゆみ)
うちの子は病気の後遺症で障害があります。病気は原因不明だったので、防ぐことなんてできませんでした。体に麻痺があり、座ること、立つこと、話すこと、何もできません。だから、同じぐらいの子どもが、公園で遊んでるところを見るだけで、うらやましい。わたしも子どもと手をつないで歩いてみたい。
あれもこれも(renee・神奈川・既婚・33歳)
聞きわけのよい子や、挨拶のキチンとできる子、片付けができる子……。自分の子ができないことを、さりげなく、あたりまえのようにできる子を見ると、「いいなあ」なんて思います。でも、やっぱり、自分の子は自分の子、「そのうちできるようになるさぁー。それに、そこがいいとこなのかもねー」と、見直しています。子どもの成長につれ、あれもこれもできてほしいなんて、親のエゴかしら?健康に生まれて、元気に育ってることが一番なのに、歳を追うごとに、あれもこれもになってくる。そんな自分に嫌気がさすときがあります。
子どもの向学心につながるように(まどりん)
これが「他人の子どもがうらやましい」なら迷わず「NO」ですが「うらやましく見えるトキ」と瞬間を指していらっしゃるでしょ。ありますよ。あるけどね、だけどどうなの?わが子がいいでしょ。成績や性格やルックスをいいね! とは思うけれどちょっとおバカでも引っ込み思案でも鼻ぺちゃちゃんでも、夫と自分のDNAを受け継ぐまったく別の存在を大切に思います。比較してはいけないとは思わない。比較されてこそ発奮することも多いわけで、子どもの向学心につながるように運ぶのが親の度量だとわたしは思う。
不安な気持ちをぶつけてしまい……反省(やまといも)
来月、娘が小学校に入学します。最初の子なのでわたし自身が不安なこともあって、「うちの子は、他の子よりもぼんやりしてるけれど、ちゃんと学校にいってやっていけるのだろうか」という気持ちになってしまい、それを娘にぶつけてしまっていました。今回のテーマで、はっとさせられました。

「別にいいやんなぁ」(hasu)
父と叔父が同じ時期に結婚したせいで、同じ学年の従兄弟がいました。同学年というと比較しやすいようで、「○○くんはもう時計が読める」、「あんなことができる」と比較してくる親族もいましたが、母はそういうことを気にしない性格のようで、いつも「別にいいやんなぁ」とわたしに言っていたことを思い出します。今となっては、従兄弟もわたしも何ら差はありませんが、話題の一環として、小さい子どもたちの比較がくり広げられたんでしょうね(笑)。
「都合のいい子」にはなってほしくない(もなこ・大阪・既婚)
自分自身が、過剰なほど親の目を気にする子どもだった。親がさほど厳しかったわけでもないが、できの良い兄弟がわたしを苦しめた。なんとか、目立つためにいろんなことをしていたと思う。そんな自分が今は愛おしい気がする。わたしの一人息子は、生後すぐに長期入院したりと苦労したが、その時、親の責任を痛感した。どんなことになっても一生子どもと歩いていく覚悟ができた。その後息子は嘘のように元気になり、今に至っている。息子には、自分の気持ちに正直に生きてほしい。息子が幸せでいることが一番だから。
隣の芝を羨んでも……(bachiko)
人生60年を60センチの紐にたとえたら、今という時はほんの数ミリ。5歳なら5センチ、10歳なら10センチ。人生は長い縄を編み上げる作業です。早くに開花した人がずっとすばらしいとは限りませんし、遅咲きの大輪もあるのです。成長も好みもすべて個性、個人差、向き不向きがあると思っているので、わが子が必要とするものが親として理解できていて、きちんと提供できればそれが一番よいと思っています。隣の芝を羨んでも誰もシアワセにはなれません。
誰もがうらやむわが子(mamarin)
わたしの長女はいわゆる人が羨む子です。スポーツも勉強もとてもでき、優しいし健康だし、しっかりしているし、いつも友だちが取り巻いて慕われています。そんな彼女を、わたしはもちろん誇りに思っていますが、彼女なりに努力していることも知っています。でも友だちのお母さんたちは安易に「〜ちゃんはいいわね。なんでもできて」とか「しっかりしてるわね。家の子をよろしくね」と言います。本気で言っているのかはわかりませんが、どこかにわたしの子の欠点を探るような響きがある時もあり、いい気持ちがしません。自分の子どもを卑下して家の子と比べたりしている言動を見ると悲しくなりますね。
大人も子どもも(やまさ)
普通に生まれて、普通に育ってきているせいか、今まで、他の子をうらやましいと思ったことはありません。この「普通」というところが、ポイントなのかもしれないですね。とくに優れているというわけでもなく、とくに劣っているというところもなく。「ありがたいな〜」と毎日思っています。でも、比べないのは、家の周りが少子化で、比べる子どもがあまりいなくて、比べようがないだけかも。でも、逆に将来、「○○ちゃんの家のママの方がいい」と言われたり思われたりしたら、とてもショックなので子どもも大人も、比べられたら嫌な思いをするのは一緒ですよね。

子どもがいること自体がうらやましい(ヤギ)
まだ子どもはいないんですが、バリバリの子宮筋腫・腺筋症ホルダーで妊娠しづらく流産しづらい高齢のわたしにとっては、まず妊娠できるかどうかが最大の問題です。子連れの若いママなどを見かけると「たぶん当たり前のように妊娠できたんだろうな〜」とうらやましい気分になったりすることありますねえ。とりあえずこれから妊娠にチャレンジです。
何が幸せなのか(kyachi・神奈川・既婚・43歳)
障害を持つわが子を育ててきて、他人のお子さんがうらやましいという思いを山ほどしてきました。何か特別なことでなくてもです。普通(ノーマル)ということが何をもって言うかわかりませんが、普通の子育てにあこがれたりしてました。
わたしのDNAなんだから(ねばこ・千葉・既婚・38歳)
本音を言えば、やはり「運動のできる子」、「勉強のできる子」、「積極的な子」はうらやましいです。でもわたし自身の子どもの頃をふと思い返してみると、うちの母は決してよその家の子と比較しませんでした。寝坊助でのんびりしてて明るいわたしを、あるがままのわたしを愛してくれたと思います。だからわたしも本当はもっと勉強をがんばってほしいし、運動もできたらいいなと思うし、もっと積極性を持ってほしいけれど、決して友だちに悪さしない、素直なわが子を認めていこうと思います。でも、こんなテーマを投げかけられなかったら改めて考えなかったと思う。やっぱり「あの子はすごいなあ、いいなあ……ああ、うちの子ときたら……」なんて思っていたと思う。しようがないじゃない、わたしのDNAなんだから。

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