

子どもの向学心につながるように(まどりん)
これが「他人の子どもがうらやましい」なら迷わず「NO」ですが「うらやましく見えるトキ」と瞬間を指していらっしゃるでしょ。ありますよ。あるけどね、だけどどうなの? わが子がいいでしょ。成績や性格やルックスをいいね! とは思うけれどちょっとおバカでも引っ込み思案でも鼻ぺちゃちゃんでも、夫と自分のDNAを受け継ぐまったく別の存在を大切に思います。比較してはいけないとは思わない。比較されてこそ発奮することも多いわけで、子どもの向学心につながるように運ぶのが親の度量だとわたしは思う。
不安な気持ちをぶつけてしまい……反省(やまといも)
来月、娘が小学校に入学します。最初の子なのでわたし自身が不安なこともあって、「うちの子は、他の子よりもぼんやりしてるけれど、ちゃんと学校にいってやっていけるのだろうか」という気持ちになってしまい、それを娘にぶつけてしまっていました。今回のテーマで、はっとさせられました。

誰もがうらやむわが子(mamarin)
わたしの長女はいわゆる人が羨む子です。スポーツも勉強もとてもでき、優しいし健康だし、しっかりしているし、いつも友だちが取り巻いて慕われています。そんな彼女を、わたしはもちろん誇りに思っていますが、彼女なりに努力していることも知っています。でも友だちのお母さんたちは安易に「〜ちゃんはいいわね。なんでもできて」とか「しっかりしてるわね。家の子をよろしくね」と言います。本気で言っているのかはわかりませんが、どこかにわたしの子の欠点を探るような響きがある時もあり、いい気持ちがしません。自分の子どもを卑下して家の子と比べたりしている言動を見ると悲しくなりますね。
「正しい」親バカ(サニーゴ)
子どもがいない頃は「親バカなんて恥ずかしい」と思ってましたが、今では「親くらいバカな子どもを愛してやらなくてどうする!?」って思ってます。「他人の子がうらやましい……」なんて言ったら、きっと子どもたちに「○○ちゃんのお母さんがうらやましい」なんて憎まれ口を叩かれそう。人間だからイヤな部分もあるし、親子とはいえ相性もある。それはお互いさま。でも他人様にまで親バカを強要はいたしません。間違っても同じ年頃のお母さんに「うちの子、可愛いでしょう?」なんて、それは間違った親バカでしょう(うちの子はもっと可愛いわよ! )。
自分の子どもが世界で一番(コアントロー)
ルックスとか性格とか、厳密に見れば他の子より劣っているところがあるかもしれないわが子たち。でもどこをどう考えても、うちの子が世界で一番だと思ってしまいます。もちろん反抗したり、憎まれ口を叩いたりした時には、怒りますが。親バカの鏡……です。
大人も子どもも(やまさ)
普通に生まれて、普通に育ってきているせいか、今まで、他の子をうらやましいと思ったことはありません。この「普通」というところが、ポイントなのかもしれないですね。とくに優れているというわけでもなく、とくに劣っているというところもなく。「ありがたいな〜」と毎日思っています。でも、比べないのは、家の周りが少子化で、比べる子どもがあまりいなくて、比べようがないだけかも。でも、逆に将来、「○○ちゃんの家のママの方がいい」と言われたり思われたりしたら、とてもショックなので子どもも大人も、比べられたら嫌な思いをするのは一緒ですよね。
「来てくれてありがとう」(Happy)
ようやく授かった子なので、「来てくれてありがとう」の思いが強く、比べるなんてことはありませんが、周りは「大きい」「小さい」「早くできた」を話題にします。

比べてしまうような気がして不安です(ぎんぺー)
今はさておき、わたしは昔「できる子」であったため、わたしにとって「比較される」ことはイコール「褒められる」ことでした。近所のおばさんに「○○ちゃんはいいわね。それに比べてうちの○○は……」と言われると、子どもながらに優越感を感じていました。逆に他の子にできることが自分にできないと悔しくて、一生懸命に追いつこうとしていたと思います。その名残が今もあり、何かにつけて自分を他人と比較してしまうところがあります。他人に引けを取ることがあった場合、自分のことなら自分ががんばればいいのだけれど、子どもとなるとわたしにはどうしようもできない。きっと見ていて歯がゆくて仕方がないだろうと思います。まだ子どもはいないのですが、子育てをすることになったときにはよっぽど気をつけていないと、子どもを傷つけてしまうことになりそうで、ちょっと不安です。

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