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今週のテーマ会議番号:2359
厄年のお祓いに行ったことがありますか?
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4日目/5日間
働く人の円卓会議
1位
【開催期間】
2008年01月28日より
2008年02月01日まで
円卓会議とは

井上順孝
プロフィール
講演依頼
このテーマの議長
井上順孝 國學院大学教授
円卓会議議長一覧
厄祓いをすることが信仰に関係あるか、とあらためて聞かれると、少し答えにとまどうところがあるかもしれま……
議長コメントを全文読む
3日目までに届いている投稿から...
月曜:1日目(テーマの背景) 火曜:2日目 水曜:3日目 木曜:4日目 金曜:5日目(リポート完成)
yes 日本人の宗教観って…… (syura・神奈川・パートナー有・47歳)
日本人は、無宗教とよく言われますが、私は八百万の神を信仰しているアミニズム? だと思っています。「悪いことすると神様の、罰が当たるよ」とか「もったいない」とか、自然を大事にしたり物を大事にしたりする心は、信仰心のようなものなのではないでしょうか? そういう私は、19歳の時に落馬し入院、33歳で結婚し、34歳で最初の子どもを産みました。厄年っていうのは、変化と充実の年ですね。厄年を特別には過ごしませんでしたが、毎年の初詣の時には、厄除けお守りを頂いてました。

yes なんらかの信仰心 (meg助・栃木)
特定の宗教を信仰しているわけではありません。が、神社にも参拝しますしお寺にも教会にも行きます。私にとっては大きな何か(誰か)に補助(?)してもらう、という感覚でひとくくりです。信仰心の厚い方に怒られてしまいそうですが。神仏は信者以外にも門戸を開いていると思ってます。願掛けや厄年・厄払いという考えも既に生活・文化の一部になっているように思います。「信仰心」と考える前にもっと身近なものです。

yes 信仰と宗教は別もの (まるげりーな・千葉・パートナー有・32歳)
信仰心とは、宗教と必ずしも直結するものではありません。自分の人生を生き抜くための「信念」を形成する道しるべとなるものです。いわゆる、地図のない旅を照らし出す1本のたいまつのようなものです。そして、厄払いという儀式は、それに関わる人々の私への「健康と幸せの祈願」という形で、私の小さなたいまつにより大きな灯をともしてくれます。そのために動いてくれる皆さま、私の家族や愛する人たちに心から感謝する純粋な心を感じるとき、私は大人になったと感じます。

yes 先週行って来ました (M-rron・愛知・パートナー有・32歳)
厄年とか気にしたことがなかったのですが、友人の熱心なススメにより先週行って来ました。正直、神様とか信仰とか全く興味のなかった私ですが、お祓いを済ませお参りをすると何だか心がすーっと落ち着いた気がしました。そして境内を歩いているときに友達が一言「あんたに子どもができる気がする!」と。結婚7年目でずっと不妊に悩んでいたので、厄払いで悪いものを全て手放して気持ちを新たによいものが吸収できたらと思います。

yes 信ずるものは救われる…… (ナポレオンフィッシュ・福岡・パートナー有・40歳)
ちょっとしおらしくなってはいるものの、神社自体のきりっとした緊張感が好きで、ついつい行きたくなってしまうのでした。境内に入ると、清められる感じがして。今までの悪行三昧(反省)がリセットされてるんでしょうねえ。

yes 古代人の儀式では (lovesnow・山口パートナー有・)
お正月の注連縄や神社の鳥居にしろ、すべては古代人の妄想(空想)の産物であり、神様って何? とあらためて考えてみてもほとんどが、古木や滝や池? が御神体であったり、過去の有名な人物であったり…… 職業がら地鎮祭等につきそうこともありますが、あえて厄年のお祓いも過去の儀式と考え行いませんでした。ところがどうでしょう。厄年の年に、一生で一度と思える交通事故に会いました。2カ月の入院後、退院するや否や直ちにお祓いにいきました。

no 無神論者は厄年を気にしない (ぷり-む・神奈川・パートナー無・43歳)
初詣に行く人が、信仰心があって詣でている、とは思っていないのと同じで厄年も日本固有の「いわれ」やの一部になってしまっていると思います。まだ来ぬ災いを案じ、厄をはらってもらうと言うのは、目に見えぬ存在(神)を信じている事になる…… とも、とれるのですが、イコール信仰心ではなく、それに近い次元の気持ち(神よりの気持ち)なのかなと思います。私自身は、お払いの効果は別として、厄と言われる時期は確かにあり、わが身を振り返る、周りを案じる機会だったかなと感じています。

no 厄年は「役」年 (森の舞・パートナー有・33歳)
呉服屋さんから聞いた言葉です。確かに一昔前ですと、最初の厄は結婚する頃。大厄は先代から家を任される頃。最後の厄は子に家を任せ、村の年長者としての役割を果たす時期でしょうか。社会的に大きな役割が与えられる時期と重なります。昔は、厄年に染め抜き紋の着物を作り、厄を抜いた、とも聞きました。それは同時に紋付が必要な役割を与えられることでもあります。私は、厄年のお祓いはしませんでしたが、きちんとお役目を果たします、との誓いの意味もあったかも知れませんね。
4日目の円卓会議の議論は...
月曜:1日目(テーマの背景) 火曜:2日目 水曜:3日目 木曜:4日目 金曜:5日目(リポート完成)
「将来厄年を迎えることになる人たちに、どう説明しますか?」
厄祓いをすることが信仰に関係あるか、とあらためて聞かれると、少し答えにとまどうところがあるかもしれません。その一つの理由は、日本人の多くは、そもそも信仰というもの自体に、かなり曖昧な考えや態度をもっているからだと思います。

(meg助)さんのように、「神仏は信者以外にも門戸を開いていると思ってます」という考えは、都合がいい考えといえばそうですが、信仰についてのおおらかな理解とも言えます。(まるげりーな)さんのように、「信仰心とは、宗教と必ずしも直結するものではありません」というふうに、宗教よりもっとゆるやかなものと考える人もいます。

信仰自体にそういう曖昧さがあるのですが、 (ぷりーむ)さんは、厄祓いは「イコール信仰心ではなく、それに近い次元の気持ち」と解釈しています。厄祓いが宗教そのもの、信仰心のあらわれと言うには若干抵抗があっても、しかし、無関係ではないというところが、大方の感じ方になるような気がします。

さて、皆さんの意見を読んでいますと、厄年にお祓いに行かなかったという人でも、これはなんとなく気になる習俗である、と感じているようです。では、将来厄年を迎えることになる人たち、たとえば自分の子どもとか職場の若い世代の人とかに、この習俗をどのように説明したらいいと思いますか。

むろんこういうことは伝えない方がいい、という意見の人もいるでしょう。けれども、これだけ多くの人が気にしている事柄であると、これからやがてこの習俗に向かいあう人たちに、どう説明するのかを考えてもいいような気がします。

厄年のお祓いという習俗に肯定的な場合と否定的な場合とでは、おのずと言い方も異なってくるかと思いますが、自分だったら、こんな形で話すだろうなというのを、自由に述べてもらうとありがたいです。

井上順孝
國學院大学教授
井上順孝


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