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伊藤元重さん
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英語がダメだったんです
伊藤
静岡では、英語はもうひどかったですよ。当時、中学の時、誰かが「ユー・ハフ・トゥー」って言ったら、先生が「君、発音が悪い。ユー・ハブ・トゥーだ」と(笑)。
佐々木
(笑)直されて。
伊藤
そういう学校だったんですね。ただ、英語は、比較的読むのは得意だったですね。どうしてなんだろう。普通の高校教育で、だけど僕の英語は、受験教育だから、ひどかったんですよ。ただ幸いだったのは、アメリカに行ったのが23歳の時だったんですよ。
佐々木
それは、東京大学を出て。
伊藤
学部のあと東大の大学院に少しいて、そこを休学にしてアメリカの大学院に入った。僕は51年生まれなんですね。で、アメリカに行ったのが75年ですから、23歳ということになります。その年の暮れに24歳になったんですね。
で、本当に英語がダメだったんです。今でも覚えていますけど、これも本当に冗談みたいな話なんですけど、友たちとどこかで食事をして、「勘定をくれ」って、「Bill」って言ったんですよ。そうしたらビールが来ましてね(笑)。
それに、初めての授業で、今ハーバードで教えているロバート・バローっていう先生のレクチャーで、勇敢にも質問をしたんですよ。英語っていうのは分数を上から下によみますよね。例えば「two over five」とかっていうでしょ? ところが、一生懸命「ファイブ分のトゥー」って言ってるんですよ(笑)。本人は全然意識はないんですけどね。とにかくひどかったんです。でも、若くて行ったもんですから、非常によかった。
佐々木
なんだか、ほっとするエピソードです。
伊藤
あとは、家内がほとんどネイティブなんですよ。高校の時に1年間行っていて、戻ってきて、1年ぐらい就職していたんですけど。家内も上智なんですよ。
商社に勤めて、辞めて、それで昔アメリカのホストファミリーの所に。そのうちに、「あんた、そんなんなら勉強しなさい」って言われて、願書を出したら通っちゃって、ロチェスターのリングイスティックスの大学院に。だから彼女は、もちろん英語は本当にネイティブに近かったものですから。それで、彼女と結婚したんですよ、3年目に。
例えば、電話がかかってくるでしょ? 当時、もう2年も僕はアメリカにいたんですよ。本当なら、「Can I take a message?」って言うでしょ? それを、「Do you take notice?」って(笑)。あまり言うのは恥ずかしいんですけど。3年目なのに。
佐々木
(笑)
伊藤
だから、ロチェスターに行って、経済の言葉は勉強するんだけど、普通の単語なんか全然。だけど、それが、やっぱり結婚すると現地の人とのネットワークが広がるんですよ。例えばアメリカのホスト・ファミリーとか。そこでソーシャリゼーションしたのが、良かったんですね。
佐々木
付き合いが広がっていきますしね。会話も広がってくるし。
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