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金平 敬之助さん
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病院で、毎日妻の手を握り、奇跡が起きました。
- 金平
手術が終わったとき、「完全にうまくいきました」と言われました。でも、いったん脳の中に血が流れると、血管が攣縮(れんしゅく)してしまう。そのため一時意識のレベルが下がります。でも、奥さんの場合、2〜3日で戻るでしょう、とも言われました。それが、結論から言いますと、2カ月戻らなかったのです。もちろん毎日見舞いに行きました。一生懸命名前を、「みどり」というのですが、呼び続けました。まったく反応がありません。先生から2度、「お気の毒ですけれども、もう意識は戻りません」と宣告されました。
私は覚悟しました。「会社を辞めよう。病院の近くにマンションを借りよう。一生意識のない妻を世話をしよう。うまく退院できても車椅子生活だろう。そのときは東京郊外で二人で暮らそう」
でも、不思議なことがありました。部長先生から部屋に呼び出されて、「治らない」と最初に宣告されたときでした。長い地下の廊下を歩いて病室に戻るときはほんとうに辛かったです。部屋に入りましたら妻の友人がいました。私の顔を見たとたん「先生から決定的なことを言われたに違いない」とすぐ分かった、とあとで申していました。
私は黙って妻のベッドに近寄りました。そのまま家内の手を握って、祈るような気持ちで「握って」と強く言いました。妻の手は握ってもいつもダラッと下がってしまいました。まったく反応がなかったのです。でも、このときは違いました。離れて見ている妻の友人がはっきり分かるぐらい、しっかり握り返してくれたのです。しかも、3回も繰り返して……。
いまでも、あのときなぜ握り返してくれたのか不思議でたまりません。それは、絶望の淵にいる私に、「心配しないで。私は大丈夫だから」というサインを送ってくれたような気がしました。妻の友人も叫びました。「うそ! 部長先生の言うこと、うそよ。ご主人、大丈夫よ。意識があるわよ」。この声はいまでもはっきり耳に残っています。
- 佐々木
それは感激だったでしょう。
- 金平
私も興奮してすぐ部長先生の所に飛んでいきました。「握り返してくれました!」でも、こういうときの医師は冷静です。ひと言で片付けられました。「ご主人、それは身びいきというものです」。確かに、その通りで、そのあとはまた妻は意識のない状態を続けました。でも、私は妻からの「大丈夫」というサインを信じて必死に看病を続けたのです。長くなりますので、結論から言いますとね、2カ月経って徐々に意識が戻り始めたんです。
- 佐々木
2カ月経ってからですか?
- 金平
はい、ある日、先生から「今日、二桁の計算ができました。大丈夫です。意識は100%戻りました」と言われました。
- 佐々木
二桁の計算?
- 金平
二桁の計算ができると、頭は完全に元に戻ったと言えるそうです。一桁だったら、まだ疑わなくてはいけないようです。このとき先生から言われた言葉がいつまでも忘れられません。「医者としては、こういう言い方はしたくないんですけれども、患者の家族の愛情が患者を助けると言わざるを得ませんね」。
もっと素直に言っていただいてもいいのになあ、とちらっと思いながら聞きました(笑)。でも、ほんとうに先生のおかげで妻も私も助かりました。
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