ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第87回 金平 敬之助さん

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金平 敬之助さん
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8時24分に、救急病院に着きました
- 金平
はい、妻が50歳のときでした。ある日家に帰ったら、電話口の所で家内が倒れていまして……。
- 佐々木
まだ現役でお仕事をされていたときですか?
- 金平
そうです。住友生命の常務をやっていました。その日は社内のパーティがありました。7時半頃終わって、皆、二次会に行くでしょ? 私はカラオケが歌えませんから、私だけ真っすぐ家に帰ったのです。あとで考えると、これがよかったのです。着いたのは8時1分でした。
- 佐々木
それは、随分正確に。
- 金平
というのは、8時ジャストに、いまでいうJTBの方が、家に電話をかけたのです。妻が出たのですが途中でろれつが回らなくなった。JTBの方が「奥さん、どうしたんですか?」って言っているうちに、バタッという音がした。「どうしたんですか?」って繰り返していっているうちに、受話器が置かれた。
「大丈夫なのかな」と思って、気にはしつつそのままにした、というのです。これはあとで聞いた話ですが……。このとき、受話器を置いたのが私なのです。いま申し上げたように、私は8時1分過ぎに帰宅した。だから、倒れて1分後に私が帰ったということになります。
- 佐々木
それで、すぐ救急車で?
- 金平
はい、すぐに救急車を呼んで、8時24分に救急病院に着いて、「くも膜下出血です。明日手術します」と言われました。
妻は翌日ちょっと意識があったんですよ。で、朝、「東京逓信病院に行きたい」と言うのです。しかし、病院を変わるのはちょっと気兼ねもあったし、倒れて、もう一度破裂したらダメだっていうことも知っていましたし……。でも、病院が「いいです」と言ってくれました。「ちゃんと救急車も呼んで、医者もつけますし、看護婦さんも二人乗せてあげます」と、すごくやさしい病院でした。
で、都内の青梅街道を突っ走りました。そうしたら、その日がちょうど脳外科の手術の日だったのです。田中角栄元首相が入院したときに面倒をみた先生がちょうど空いてるというのです。手術は「5時間か6時間かかる」と言われました。実際には、午後3時半ぐらいに出て行って、終わったのが夜中の12時半ぐらいでした。
こちらは控え室で待っていました。でも、5〜6時間経っても連絡がない。「何で遅いのか?」と大変心配したのを覚えております。後で考えたのですけれど、要するに、お医者さんは「自分がメスを入れてから5〜6時間かかる」と言ったのですね。ところが、家族は病室を出てから帰ってくるまでの時間、と考えてしまいます。手術の前に、頭を剃ったり、麻酔をかけたり、その時間があるでしょ? 終わった後も、また、いろいろある。そのトータルで9時間半。初めから、そう先生が言ってくださったら、こちらは安心して待っていられるのですが……。でも、これは「言う立場」と「聞く立場」の食い違いなのですね。このときの経験で、私はいつも聞く側に立って物を言うように心掛けています。
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