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金子 奈緒さん
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キャンパスでの第1回コンテストで、スカウト
- 金子
辞めてね、今の事務所と出会うわけなんです。そこから、もう。入学のときに声をかけてきてくれた先輩が、うちの事務所の社長と、一緒にいろいろ活動していて、「うちのキャンパスで第1回目のDJコンテストを開きたい」と。秋祭りの時だったかな。で、「オーガナイズしてよ」って先輩に頼んでいたんですね。で、先輩は、出場する人を探していたんですよ。
放送研究会って各大学にありますから、お嬢様の女子大とか、いろんなところからウワーッて参加者がすぐに集まったんですね。そういうDJコンテスト、珍しかったから。なのに、うちのキャンパスからは誰もいなくて、先輩は焦ったんですね。「格好つかない」って。で、私が、「あいつがいた!」って、また引っ張っていかれたと。で、出たのがきっかけですね。
- 佐々木
で、そこでスカウトっていうか、されたんですね?
- 金子
うん、そこで。そうですね。
- 佐々木
その時は、じゃあ、これで食べていこうっていう感じだったんですか?
- 金子
全然。アルバイトのわりがよかったんで。家庭教師も、当時やったりしてたんですけど、とにかくまったく知らない世界だったから、「スタジオって、どうなっているんだろう?」ぐらいの興味で行ったんですよ。「いいですよ」ってお受けしたのが、ある番組のコーナーアシスタント。これが、業界での第一歩です。
- 佐々木
FMヨコハマですね?
- 金子
うん。マイクに向かってしゃべった最初が、これ。10分ぐらいでしたかね。海外のチャートのカウントダウンで、やっていた方がミュージシャンの2人だったんですね。で、英語はしゃべらなかったのですが、そういう発音で、ちょっと、チェンジオブペースっていうか。ディレクターの意志だったんです。で、私が引っ張り出されて、わけも分からずに行って、読んだんです。
- 佐々木
1994年ぐらいって、ちょうど英語を入れた番組がいろいろ出てきた時期でしたね。FMヨコハマで、仕事がとんとん拍子で進むわけですね?
- 金子
ええ、でも全部アルバイトですね。学校へ行きながら、週1回スタジオに寄って、収録して、また学校に戻るみたいな、そんな生活をしていましたね。これは、もう本当に、アルバイトって割り切ってやっていたから、そのつもりだったし、だから家庭教師やっていたんです。だって、塾の夏期講習とかもやっていたんですよ、私。英語、教えていたんですよ、小学生に。早いうちにっていうんで、親御さんが望まれる方には、ですけれど。教材も作っていました。
- 佐々木
それは、今やっても、お客さんがいっぱい来そうですよね。でも、略歴を拝見する限り、大学を出る時はこれを職業にしようと決めていたっていう感じにみえます。
- 金子
もうちょっと紆余曲折あったんですが、結果的にはそういうこと。途中、いきなり名古屋の地名が出てきて、びっくりしちゃうんですけれども。
- 佐々木
グランプリ。
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