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川合アユムさん
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プロテクション技術の開発
- 佐々木
就職して1カ月後に上司とけんか。でも、そこで、自分で戦略をたてて売りはじめたということですよね。
- 川合
いやもう、上司とは決裂状態。
- 佐々木
決裂状態になったけど、でもその会社で営業は続けたと。
- 川合
勝手に自分なりの顧客開発を始めたんです。最初に会社からもらったリストはおもしろくないから、「要りません」と言って、上司に返した。当時、まだマンションの1室で始めたようなメーカーとかが多かったんですけど、そこに向けて自分で勝手に営業活動を開始したんですね。
- 佐々木
それで、売れたんですね?
- 川合
最初は、すぐに売れなかったんですけど、大爆発したのは、技術開発でした。当時フロッピーが、エンベロープっていう袴に入ってたんですけど、パッケージのユニークなものや、印刷技術のいろいろなのを集めてきてはこんな印刷どうですかとかと、提案して提供していたんです。
こんなふうに、独自の商品づくりをしようとしているうちに、ソフトハウスの人が当時一番困っていた違法なコピーを防ぐためのプロテクション技術を提供することになったんです。
- 佐々木
それですね、川合さんが開発したんですよね?
- 川合
開発したというほどのもんじゃないんですけどね。ただチンピラを辞める時に、一つだけ自分の中で形にしとこうと思って、チンピラ時代のちょっとポケットにあったお金でパソコンのフルシステムを買ってたんですよね。当時高いもんだったんですけど。
その機械でいろいろソフトハウスの人が言ってる違法にコピーされてしまう、っていう問題について、僕なりに調べたんですね。
そうしたら、構造的に言うとそんなに難しいものじゃない、とわかって。それじゃあと、自分でプロテクション技術を開発して提供を始めたんです。一番初期のものは簡単なものでしたけど。
- 佐々木
それは特許かなんか取ったんですか?
- 川合
当時は特許もない。
- 佐々木
発明発案したものを、勤めていた会社のサービスとして提供した?
- 川合
そうそうそう。当時は当然そうです。
僕、一営業マンでしたから。僕が最初に提供し始めたころのものっていうのは、大したものじゃなかったんですけど、お客さんが喜んでくれて、これはいけると思ったんです。でも、そういうのを自分の力でやるのは無理なんで、東京とかあっちこっちの技術者探して、こういう技術開発してくれと順番に頼んで回ったんです。
それを受けてくれた非常に優秀な技術者がいて、その人に僕がいろいろと思いついたアイデアを形にしてもらった。
大量生産できる体制も、そういう機械を探してきて、それを使って、量産できるようにして、しかけを作ったんです。何段階目かにできたものはすごくいいものができたんですね。それが大ヒットした。
全国のソフトハウスから引き合いがきて、あっという間に自分の数字がポンと、自分がいる会社の売り上げを超えちゃったんです。一気でしたね、あれは。
実はその時、中学校時代からずっと悩んでたことの一つの結論が見つかりました。
「この感じや!」と思った。ものすごくうれしかったんです。自分のアイデアでゲームが売れた時もおもしろかったんですけど。
- 佐々木
もともとの自分のアイデアで、それを組み立てていったら、多くの人が喜んでくれて、欲しがってくれて。
- 川合
そうそう。あともう一つは、研究開発ってすごい威力があると。
今まで誰も供給できない稀少価値の技術を持つことで、こんなにも仕事が楽しくなるのかということを、強く感じたんですね。それが、会社に入ってまだ半年めくらいのことでしたね。
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