ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第55回 山川 隆さん

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山川 隆さん
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提案だけでなく、自分でやれ
- 佐々木
そのCompuServeと交渉の末契約を締結し、86年2月にニフティを立ち上げられて、設立と同時に、商社からニフティ幹部として迎えられたのですね。
- 山川
いや、最初は普通の部長で行って。利根川さんから言われましてね。企画部っていうのは評判悪いんだ、と。なぜならば、提案だけして自分は逃げるから。だから、提案するんだったら、自分で行ってやってこい、と。で、ニフティに移ったんです。
- 佐々木
そうだったんですか。それからずっと這い上がって行かれたんですか。
- 山川
最初大変でした。赤字続きでした。そのあと、もうぐんぐんぐんぐん伸びていきましたが。
- 佐々木
ユニカルは今思うとずいぶんニフティのこと宣伝しましたよ。1990年くらいから、いつもオフィスにニフティのスターターキットをおいて、ユニカルの通訳者翻訳者を全員入れるように動いてました。提携していたらよかったですね(笑)。
「メールアドレス持っていないと、ユニカルからは一切仕事が行きません」と宣言したのが92年。今思うと、早いですね(笑)。でもあのとき私たちは当然で、メール持っていない人と仕事なんかできない、と思ってました(笑)。
15/24
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