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松本 侑子さん
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番組作りの壮絶な大激論
- 佐々木
『ニュースステーション』では、始めから天気予報を担当したんですか?
- 松本
毎日夜は、天気予報の生出演をして、昼間は、番組の取材リポーターとして働いていました。かをりちゃんが入られた87年には、もう小説を書いていたので、昼間の取材ははずしてもらっていたと思います。
- 佐々木
そうだったんですね、全然知りませんでした。
- 松本
それに週末は、泊まりで地方ロケでした。平日は、毎日リポーターの仕事で、朝の7時に集合して、1日取材をして、早ければ夕方4時、遅ければ夜8時ごろテレビ局に帰って来る。それから取材原稿を書いて、見てもらってナレーションを録音して……。
夜の生番組では天気予報もやって、それが終わって夜11時半ごろから反省会と次の日の取材の打ち合わせをして、家に帰ると午前1時半すぎ。また次の日は朝からロケに行って……そんな多忙な日々でした。
毎日のロケで、リポーターはわたし一人なのに、担当ディレクターは3人いて、彼らは3日に1回のローテーションだから寝る時間があるんです。でもわたしは毎日早朝からロケに出て深夜帰宅、土曜、日曜は泊まりで長崎とか北海道とか地方へ行って休日もなくて、寝不足で、疲労困憊でした(笑)。
- 佐々木
よく1年以上やりましたね。
- 松本
結局、足かけ4年。
- 佐々木
わたしなんか6年もいた。信じられないでしょう(笑)。
- 松本
かをりちゃんもそんなに(笑)? わたしもいざ始めてみたら、とても刺激的な職場で、毎日厳しく鍛えられたけど、こんなにすごい仕事場はほかにはないと思って……。
- 佐々木
やってみたらおもしろかったから、予定に反して、1年以上いたということになるんでしょうか? 仕事の内容は魅力的だし、職場のスタッフも良かった。ただ、自分自身でモチベーションを持っていなければ、続けていけるような仕事じゃなかった。厳しい環境だったものね。
- 松本
わたしにとってラッキーだったのは、「『ニュースステーション』は、まず失敗するだろう」と、ほかの局の人たちが言っていたころの、まだ立ち上げの段階から職場に入ったことです。
番組の基盤はできていなくて、採用試験を受けたときは、久米宏さんが司会をするということすら未発表で、わたしも知らなかった。最後の面接試験で、久米さんとの面接があって、「なんでTBSのアナウンサーの人がここにいるんだろう?」と、不思議に思ったくらいです。
でも考えてみると、会社は、知名度の高い人気アナウンサーと契約して、番組にそれだけ力を入れていたんですね。実際、テレビ局の上司は、「この番組には、わが社の社運をかけて、各部署の精鋭のスタッフを集めました」「制作会社のオフィス21でも、精鋭部隊を集めました」と話されました。
というのも、当時はまだ、夜10時台のニュース番組は皆無で、どの局も前例がなかった。だから番組が始まる前の準備は、毎日、壮絶な大激論。殺気立っていて、そのとき初めて「男の人のヒステリー」というものを、これは悪い意味ではなくて、いい意味ですか、激しい男同士の議論と情熱的な仕事ぶりを見ました。
番組の理念についてだけでなく、個々の事件や社会問題をどう考えるか、さらには報道のあり方にまで本音の議論になって、時にはけんかしたりして。
- 佐々木
でも、そういうのがよかったんですよね。わたしがいた時もそうでした。
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