ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第42回 江端貴子さん

42 |
江端貴子さん
|
|
|
教育実習で多くを学びました
- 江端
横浜国大の教育学部は当然、教師になるための機関でもありながら、民間企業にも卒業生が入っているということもあったので、「まあ、ここにしようかな」というか、まあここだけ受かったので、「とにかく、じゃあ」ということで、ここに進学しました。
- 佐々木
ご両親は不満でしたか?
- 江端
ええ、けっこう不満でしたね。「結局、先生になるの?」って感じで。でも、私は子供にいろんなことを教えたりするのは好きだったし、そういった状況だったので、小学校に1ヶ月間、教育実習にも行きましたし、中学校でも2週間、教育実習をしました。
- 佐々木
横浜国大は、普通の大学よりも教育実習が多いのでは?私は横浜国大の教育学部付属小学校でしたから、1年中、たくさんの実習の先生に教わりました(笑)。
- 江端
私は東京都に住みながら横浜国大に通っていたので、片道2時間かかっていたんです。実習は自宅から通える所ということで、川崎市の生田にある小学校と中学校にしてもらいました。
横浜国大なので、東京都内で教育実習をするのは無理だったのですが、神奈川県内であればということで…。それで1ヶ月間、小学校に実習に行って、5年生の受け持ちになりました。
だから家庭科や図工も含み、8教科全部を担当しました。そのうえ5年生だと1日6時間授業。毎日、明け方4時くらいまで次の日の授業の準備をするという生活をしていましたねえ。
- 佐々木
それが今の教育問題へのご関心につながっていくのでしょうが、大学卒業後に教職につかれることは考えなかったのですか?
- 江端
考えませんでした。教育実習で、いかにも閉鎖的というか、学校は校長先生や教頭先生を頂点とするピラミッド社会で、その中の人間関係だけで成り立っているように見えたんですよ。
- 佐々木
ビジネス界などとの交流もほとんどないし。
- 江端
そう。外とはまったく交流がなくて、それで、子供に教えるのはとてもやりがいがあるけれども、こういう閉鎖的な社会の中にいて自分は耐えられるかなと、不安に感じてしまったのです。それで教師になるのではなく、普通に社会に出たいと思うようになりました。
たまたま私は研究室で量子化学を専攻していたので、こう言うととても難しく聞こえますが、要するに分子レベルでどのような化学反応が起こっているかをコンピュータのシミュレーションなどを使って分析し、「このような分子が活性化すると、電子とこのように結びつきやすいために、こういう化学反応が起きる」という計算をするようなところにいたんです。そうやってコンピュータを使っていて、自分自身でおもしろいなと感じるようになりました。
- 佐々木
十分に難しそうです(笑)。でもその研究室が、教育学部の中にあったのですか?
- 江端
ええ、そうです。横浜国大は学部が教育、経済、経営、それから工学部しかないので、教育学部がいわゆる理学部とか文学部の役割をしているんです。
そのため教育学部の中も、国語科とか、私がいた化学科とかに分かれていたのですが、すべて理学部的な実験から、当然卒論もあるし、そのうえに教員養成過程も受けなければならなかったので、土曜日もちゃんと4時間授業を受けるという、今の日本の大学事情では信じられないような生活をしていました。
だから研究室では、教員関係のテーマではなく、専門的な領域での卒論を書くことを求められました。それで私はコンピュータを使った分析を研究テーマに選んだわけです。
- 佐々木
それが就職につながったわけですね?
- 江端
そうです。たまたまコンピューターを使っていたら、別の研究室の先生から「富士通で女性のエンジニアを大量に採用しようとしている。あなたはコンピューターをやっているし、もし興味があれば受けてみませんか?」と言われて、「まあ、それもいいかなあ」と思って、就職試験を受けました。
- 佐々木
そのあたりはあっさりと…。
- 江端
ええ、あっさりと。
- 佐々木
そして、富士通に入社して、MITへの留学、初の転職でマッキンゼー、そして外資の役員への転身となるのですね。まず、初の転職。いろいろ考えたでしょう?
13/22
|
 |
|
|