ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第40回 枝廣淳子さん

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同時通訳者・環境ジャーナリスト・セルフマネジメントコーチ
枝廣淳子さん
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29歳から2年で英語通訳レベルに!
- 佐々木
英語のことも少しお尋ねしたいのですが。
- 枝廣
佐々木さんに英語のことなんて、お話できませんよ(笑)。
- 佐々木
いえいえ。「29歳で英語の学習を始めた」って聞いて驚いたんですけど、そうなんですか?
- 枝廣
はい。わたし、本当に英語が苦手だったんです。外国の人が来ると逃げていたくらい。「英語くらいできないと」というのは自分にもあったので、ずっとコンプレックスに感じつつ、でも「勉強しよう!」と思うほどの元気はなくて。
29歳で夫の留学で2年間アメリカに行くことになったときは、長女が8カ月。そんなに出歩けないので、ずっと家で勉強してました。その当時はね、今でも笑い話なんですけど、英語が全然わからなくて、最初にアパートを借りたとき、お風呂の入れ方を大家さんが教えてくれたんですね。でも、栓のとめ方が何回聞いてもよく聞き取れず、わからなくって。でも、あんまり何回も聞いても悪いなって日本人的に遠慮して、結局、どんどんお湯を出してしまって初日から水浸しに(笑)。
スーパーに行っても、レジの人の「何ドル何セントです」っていうのが何回聞き返してもわからない。数字だということはわかってるのに、それでも聞き取れなくていつも大きいお札を出しておつりをもらう、そんな生活をしていたのです。そのときは本当に自分が同時通訳になって、英語で仕事をするなんて思ってもなかったですね。
- 佐々木
わたしは19歳の大学2年のときに9カ月留学をしただけなんです。9カ月というのは通訳者としてはとても短くて、だから通訳を続けなかったんですが(笑)。ユニカルに登録されている2300人ほどの通訳者、翻訳者の中でも、ずっと日本にいて海外経験がないという方は何名かしかいらっしゃらないと思います。その29歳からの2年間で、今のレベルまで、どういう勉強をされたんですか?
- 枝廣
もう一回、あの2年を繰り返せといわれたら、お断りしますというくらい(笑)勉強しましたね。
「自分の時間が2年間ある、それも、友達づきあいとか親戚づきあいがまったくない2年間だ」という意識はあったので、その2年間をどう使うかで、極端な言い方ですけど、その後の自分の人生が大きく変わることも感じてたんです。何もせずに帰ったら、社会で居場所がないと思っていたので。で、それなら、と英語を選んだ。そして、どうせやるなら一番高い目標にしよう、と。そこがまた、異様だと言われるんですけど。
でもね、これはよく使うたとえですが、走り高跳びで、1メートルと1メートル50センチのバーがあったとしますよね、両方とも飛べないかもしれないけど、1メートル50に向かって走っていったほうが高く飛べる。そういう単純な理由で、じゃあ、英語なら一番高い目標って何かと考えたら、たぶん同時通訳だろう、と思って目標にしたんです。英語が聞こえてきたら、すぐに日本語にできて、その逆もできたら最高だと思って、じゃあ、わたしは2年間でどこまで行けるかわからないけども、同時通訳になる勉強をしようと決めたんです。
- 佐々木
レジで何ドルかもわからない人が同時通訳を目指す、そこが最高にすばらしいですね。聞いているだけで触発されます。
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