ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第27回 大久保ヨシさん

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大久保ヨシさん
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夢の実現のためにしたことは
- 大久保
まず「美容師のライセンス」を取るために、美容学校を卒業してからどこかで1年間修業しなきゃいけなかったんです、当時は。修業していないと、ライセンス取得のための試験を受ける資格がないんです。
今は、学校が2年制になって、インターンは省かれているようですね。で、僕は、美容師になれたら、ある程度かたちになると思っていたんですが、とんでもなくて。3、4年一つのお店で働いていたんです。それで一通りできたから海外に出られるころかなあ、と思ったんです。でもちょうどそのころロンドンから気になる美容師さんが日本に戻って来たんですよね。それでそちらの店に。日本に約5年ぐらいいたかな。
それで25歳になって、自信を持てるようになって、なぜか独立したいな、とも思い始めていてね。美容師は独立するのがわりと早いんですよね。ただその前に「海外でやりたい」という目標だけは達成しないと、悔いが残るかなと思って、ロサンゼルスに行ったんです。最初はパリに行きたかったんです。でも、いつの間にか行き先がパリからアメリカに変わったんです(笑)。
- 佐々木
美容師資格を得て日本で5年の経験。それで、アメリカですぐに仕事を?
- 大久保
ビザの問題があるじゃないですか、だから始めは美容学校に籍をおいてました。そしてたまたま「ニューヨークで募集してる日本のサロンがある」と聞いて、移動。
- 佐々木
やはり始めは日本のサロンなんだ。
- 大久保
誰もが「せっかくアメリカにいるんだから、アメリカのサロンで働かなきゃ嘘でしょう」というような感じでしたけど、そんな中、日本のサロンで。
というのも、アメリカに来てちょうど1年ぐらいすると、「まだもうちょっと住みたいな」と思うわけですよ。そうすると何が必要かというと、永住権、つまりグリーンカードですよね。そのグリーンカードを取るのに3〜4年かかるんです。まだ英語も上手じゃないし、社会システムもわかっていない。となると、どうしても、頼れるのは日本人の経営者っていうことになるんです。
そこで今度は、グリーンカードが取れたからといって、すぐに辞めるというわけにもいかなくて、その後1年ぐらいはそこにいたかな。
- 佐々木
それでニューヨークで、次に勤めたのがWARREN。
- 大久保
そうですね。WARRENを選んだ理由は、そのころビジネス的にはロンドン系かフランス系っていうのが主流だったんですよね。自分自身の仕事っていうのは、ニューヨークに居ながらもロンドン系だったんですよ。
- 佐々木
どう違うんですか?
- 大久保
シャープなスタイルがロンドン系で、パリのほうはそこからもう少しエレガントに崩しが入ってきて。カットでいえば、当時はロンドンのほうが進んでいたかな。ヴィダル・サスーンは、ある意味、美容界でカットの方程式をつくっちゃったような人です。
- 佐々木
サスーンがロンドン系の代表ですね。で、サロンの内部のお話を伺いたいんですが。
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