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小林 栄三さん
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人と話すのが大好きだったから、工学部から商社へ
- 佐々木
スポーツはされるんですか。
- 小林
ずっと昔はテニスをやってましたけどね。でも大学では大学紛争ばっかりやってましたよ。
- 佐々木
あ、やっぱりそっちの方に行ったんですか。
- 小林
大阪大学の物性物理っていうのは51人だったのかな。今までほとんど同窓会行けてなくて、そしたら、今度はもうお前のスケジュールに合わすからって、去年やってくれたんですよ。みんな仲のいいやつばっかりです。商社なんか行きおった、って言われました。みんなほとんどメーカーで開発とかやってて、大学に残ったのがちょうど半分ぐらい。
- 佐々木
工学部ですからね。
- 小林
違ったのは2人だけでね。珍しいというかね。大学には教授が6人いて、その1人の方がね、君はどう考えても製図とかやるほうじゃないと思うから…っておっしゃったの。
- 佐々木
どうしてですか。
- 小林
いや、だって、僕は人と話すのが大好きだったから。
- 佐々木
あ、そうか。
- 小林
そしたら、伊藤先生の研究室ではなかったんだけど、あの伊藤先生のところに行ってきなさいと言われて。それが当時の伊藤忠の会長だった伊藤英吉さんの弟の伊藤順吉先生だったわけです。行ったら、「へえ、君、商社いいかもわからんね」って言いながら、「でも商社って、僕も何やるのか知らない」って言うわけですよね。
ああ、そうですかと。「僕は丸紅か伊藤忠しか紹介できないよ」っていうから、丸紅と伊藤忠とどう違うんですか、って聞いても「わからない」って言うんですよ。わからないって言われても困るんで、丸紅はどこにあるんですかって言ったらね、なんか大阪の肥後橋のどこのって言うわけ。で、伊藤忠は御堂筋。じゃあこっちの方がいいやって。
- 佐々木
でも、商社に入りたいとは思ってらした。
- 小林
思ってた。おじの影響が多分あったんでしょうね。
- 佐々木
それは商社というのはやっぱり海外に飛んでいくイメージですか。
- 小林
そうです。当時、海外だけっていうのは商社っていうイメージだったよね。
- 佐々木
つまりはもう、外国に行ける仕事イコール商社みたいなそういう感じだったんですね。
- 小林
ほんと、なんもわかんなかったから。まあいいやって、行ったんですけど、当時は僕4月の5日か6日に行ったの。4年生の。そしたら、もう全部採用は終わったって言われちゃって。
あ、そうですかと。別にどうしても来たいわけじゃないしいいやと思って。「ああそうですか、わかりました」と。「でも、きみの学部はこちらから求人してなかったはずやけど、なんで来たの?」っていうんで、「いや別に。なんか先生が行けって言うから」って手紙をだしたら、すぐに試験を受けることになって。
面接では偶然僕の高校の先輩が人事本部長で、「君、若狭のどこ?」って聞かれて、なんだろうと思って答えると、「あそこのこういう家知ってる?」とかそんな話でリラックスしていたら、結局、来い来いっていうことになって。
- 佐々木
「来い、来い」ってなった人が、社長に。じゃあ、最初から社長になろうなんていうことは。
- 小林
思うわけがないじゃないですか。
- 佐々木
思わないですか。私の周りの男性の中には、大学を出て大手に就職するときに、「いつか社長になる」なんて言いっていた人もいて。
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