ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第134回 ニヤンタ・デシュパンデさん

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ビジネス コンサルタント、レキシコン アソシエーツ 代表、カクタス・ジャパン顧問
ニヤンタ・デシュパンデさん
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学校をつくるために自分の仕事を辞めました
- ニヤンタ
でも、私だけではないと思いました。やはり仲間や友達の子ども達なんかも、同じように、そういう環境が必要だろうと思って作ったのが初めのきっかけなんです。
そして学校をつくるために自分の仕事を辞めました。確かに変わったことをやったので、だいぶ皆にめずらしがられたんですけれども、ものすごく、そういうものを信じていたんです。で、教育という分野での経験が当時はなかったので、最初は、やはり日本人にとっても同じことが問題だろう、ということに気がつかなかったんですよ。
- 佐々木
たとえば?
- ニヤンタ
たとえば、日本の方がインドの学校に来ていただくのはいいんですけれども、やはりそこに来ると、逆にインドの教育を私達がしていますから……。
- 佐々木
インド人として育つ、ということですよね?
- ニヤンタ
そうです。
- 佐々木
ニヤンタさんのお嬢さんが「私は何人?」というアイデンティティになるのと同じように?
- ニヤンタ
そこまでには、ならないんですけれども……。
- 佐々木
そもそも日本で暮らしているわけですしね。
- ニヤンタ
でも覚えてしまう社会とか歴史とかは、どうしてもインドのほうに重点が置かれるわけですから、それはあまりよくないと思い始めたんです。やはり、これは、私がインド人を作るための学校、インドの子どもがインド人として育つための学校を作ろうと思ったわけですから。少しオープンな開かれた学校にしたいと思って4人が入られたんですけれども、「これはあまりよくないな」と思ったんです。
- 佐々木
つまり、インターナショナルスクールという概念は、もちろんお持ちだったと思うけれども、本来の目的は、日本にいながらにしてインド人がインド人として育つ場を作るためなので、やっぱりそこを少し緩めることによって、本来の目的を達成しにくくなるということですよね? 薄まっちゃうから。
- ニヤンタ
そうです。もう1つ、気がついてしまったのは、「インターナショナル」とか、そういったこと以前に、まず「ローカル」にやる必要が、ものすごくあると思ったんです。アイデンティティとして、自分の根っこの部分というか、ルーツがしっかりしていて、軸足がしっかりした上で、「グローバル」であるとか「インターナショナル」であるとか、そういうものが成り立つんだ、と思ったわけです。
でも、そこで、自分の言葉もあまりよく知らない、自分の国の文化や歴史を知らない人というのは、ルーツがないんじゃないかな、と思ったんですよね。
だから、わざわざ作ったのであって。その後、一連のテレビの報道なんかで、本当にたくさんの日本人の方が殺到したんですけれども、断ったんです。
まず初等教育というのは、私もその当時、非常にそういう志はあったんですけれども、教育の経験が浅かったものですから、最初はそういうことがよく分からなかったんですよ。でも、経験した上でよく分かったのは、やっぱり日本は日本の素晴らしい教育を持っていますし、日本人としての、しっかりしたアイデンティティがあって、たとえば海外の言葉にしても、そういうビジネスにしても、いろんなことは後でも追いつけるわけです。私達も、インドで生まれ育って、今は日本とか、いろんな所でいろんなことをやっているんですけれども、最初にそういう、ちゃんとしたインド人としてのアイデンティティ、軸足がありますから、それはどうしても変えられないんです。
- 佐々木
そうですね。今は何人ぐらい、子ども達がいるんですか?
- ニヤンタ
学校には250人くらいいるんですけれども、私は学校を作ってから2年間、学校の経営をさせていただいて、それで学校が安定した2008年7月に、もう一回、自分の本業に戻りました。
- 佐々木
今、学校では1〜6年生までですか?
- ニヤンタ
いいえ、今は幼稚園から中学校までやっています。
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