ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第134回 ニヤンタ・デシュパンデさん

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ビジネス コンサルタント、レキシコン アソシエーツ 代表、カクタス・ジャパン顧問
ニヤンタ・デシュパンデさん
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自分のルーツを知らないで育つと
- ニヤンタ
でも、そもそも学校を作ったきっかけが、とても面白くて。私は元々、ITの仕事で日本に来たんです。妻も実は日本で仕事をしていたので、子どもは、生まれてすぐのときから保育園に預けていました。そうすると、日本語でずっと1日過ごしているでしょ? 最初から日本語がどんどん上手になって。そこで2つ問題が発生しました。私たちのインドの母国語をだんだん話さなくなっていったんですよ。
- 佐々木
それはヒンディー語ですか?
- ニヤンタ
私はムンバイ出身で、マハラシュトラ州という州があるんですけれども、そこのマラーティー語というのが母国語なんです。さらにインドの公用語としてヒンディー語があって、さらに社会人として不可欠なのは英語という……。ビジネスの公用語になっていますからね。
- 佐々木
マラーティー語とヒンディー語と英語。
- ニヤンタ
これらを話さないと、インドではまず暮らしていけないんです。それが1つで、「これはちょっとやばいな」と思ったんです。やはり言葉というのはアイデンティティ、あと、文化ですから、やはり「インドの言葉をちゃんと教えたい」というのが、まず1つありました。
またもう1つ、アイデンティティに関して、とてもショックを受けた出来事があって。一度、娘が2歳か2歳半のときに、保育園から帰ってきて、いろんな話をしている中で、こんな面白いことを言ったんです。たとえば、今日聞いた話を、子どもなりにいろいろな解釈をするんだろうけれども、「ミッキーマウスはアメリカ人。ドナルドダックもアメリカ人。私は何人? 日本人?」と言ったんです。自分のことをね。もう、「これは、とうとう来たな。もう、やばい」と思ってね。
娘は、生まれはもちろんインドで、メイド・イン・インディアなんですけれども、育っているのが日本ですからね。やっぱり、1日中そういう環境にいると、そういうアイデンティティが作られていくんだろう、ということですね。
だから、それはどうしても、子どもの将来を考えても、インドでまた暮らさなくちゃいけない、と。インドに帰ることを前提で日本に来ていますから、大変だと思って、アイデンティティ、自分のルーツを知らないで育つということは、子どもにとって不幸だと思いました。それが一番大きなきっかけなんですよ。だから自分の体験なんです。
- 佐々木
それで「小学校を作ろう」というところになった。この子のために、日本にいながらにして、インドの文化に触れたり、言葉に触れたり、教育方法に触れるという環境を作ろうと思ったんですね?
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