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アルトマン京子さん
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やっぱりアメリカのメディアで働きたい
- 佐々木
そんなに楽しかったのに97年に退職したのは、なぜ?
- アルトマン
「やっぱりアメリカのメディアで、また働きたい」っていう思いがあって。育ったのも学校も、日本とアメリカに行ったり来たりしたので、仕事も両方できるんじゃないかって思ったんです。日本で学べること、アメリカで学べること、それぞれ違うんですよね。で、日本のテレビもしばらくやったから、もう一回、アメリカのメディアで挑戦したいっていうのがあったんです。
- 佐々木
辞める前に、すでにCNNにアプローチをしていたんでしたっけ?
- アルトマン
CNNから「来ないか?」っていうオファーがありました。そのとき、テレビ朝日のワシントン支局にいたんです。テレ朝では、パリにも行かせていただいたし、ワシントンにも。だからニュースステーションで、ワシントンのレポートをしていました。それからCNNに移ったんです。
- 佐々木
フリーランスで支局に駐在? 全然知らなかった。
- アルトマン
ニュースステーションとの契約で行きました。でも、最初、「パリに行かせてください」って言ったときは、「パリ? そんなこと、言われても」って言われて。パリに行きたかったのは、昔パリに行く計画があったのと、当時、ヨーロッパ統合の話が盛り上がっていて、日米の視点だけでは世の中、理解できない時代が来るんじゃないかと思って、ヨーロッパに行かなきゃ、という気持ちがあったんです。
- 佐々木
社員じゃない人が東京から行って駐在って、珍しいですよね。
- アルトマン
そう。ヨーロッパ統合によって日本が変わるかもしれないから、ステーション専属のレポーターが必要って説得しようとしたんですが、「ノー」と言われて。「じゃあ、辞めて行きます」って言って、パリの大学院に戻るつもりでいたら、「じゃあ、そんなにやりたいのならやってくれ」みたいな形でニュースステーション認めてくれたんです。「行くんだったら、頑張ってこい」ということになって、結局、1年間ぐらいパリにいたんです。
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