ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第121回 田澤 由利さん

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田澤 由利さん
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行ったのがアスキーだったんですね
- 田澤
じゃあ、この本を出しているところはどこにあるのかな、と出版社の住所を見たら、「東京、表参道」と。「表参道に行けば、この本の会社があるんだ」と思って、行ったのがアスキーだったんですね。イー・ウーマンの近くですよね。
今でも、私、忘れないですよ。骨董通りのところなんですけど、そこに、全然アポも取らないで行って、「すみません、アルバイトしたいんですけど」って言ったら、びっくりされたんですけど、人事の人が出てきて、アルバイトが決まって、翌日から。
- 佐々木
翌日から? それって、古川さんがいた時?
- 田澤
古川さんではないんですね。西和彦さんがいらっしゃった時代で。
- 佐々木
古川さんって、アスキーにいましたよね?
- 田澤
ちょっと、続きを聞いてください。
- 佐々木
失礼しました。それで、アルバイトを始めて?
- 田澤
はい。当時、「月刊アスキー」とか「ログイン」っていうゲーム雑誌があったんですね。できればケーム雑誌の編集部で働きたいと思って。翌日に行ったら、こっちって案内されるんですけど、アスキー編集部を通り越して、ログイン編集部っていうのが見えてきたので、「ここだ! やった! ゲームの雑誌だ! これでゲームができるぞ」と思っていたら、また通り過ぎて、一番奥の暗い部屋に連れて行かれたんですよ。
で、看板みたいなのがありますよね。すごく貧相な看板で、何て書いてあったかというと、「マイクロソフトFE本部」って書いてあったんです。FEって分かります?
- 佐々木
何の略でしょう。
- 田澤
ファーイースト。極東支部ですよ。
つまり、マイクロソフトが、マイクロソフトの法人を作る前に、アスキーの一部門だった時に、たまたま、ふらりとそこに入ってしまったんですね。で、そこでアルバイトをして、フロッピーディスクのフォーマットとか、英文の翻訳をしてました。「英語はできないのに…」と思いながら、時給800円で。
- 佐々木
いいじゃないですか。私、大学時代はずっと時給400円で働いてたんですから。
- 田澤
そうですか? その時に、ある日ある文章を読んでいたら、「Windows is何とか」という文章があって、「Windowsってsが付いてるんだから、isじゃなくてareでしょう?」とか突っ込んだりして。それで勝手に「窓たちは」とか訳したら、そこで注意されて、「これは、新しい基本ソフト、Windowsっていって、まだ日本にはないのよ」って教えてもらったんです。それが私とWindowsとの出会いなんです。
- 佐々木
すごいです。それは何年の話ですか?
- 田澤
83年とか84年とか。その時に見せてもらったWindowsがWindows1.0で、たぶんWindows1.0を見た日本人女性っていうのは、かなり数少ないんじゃないかな。そういう懐かしい思い出がありまして、長くなりましたけど、そんなこんなで、自分自身はコンピュータのほうに、どんどん意識が行ったんですね。
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