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藤巻健史さん
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じゃあ、銀行にしようかなと
- 藤巻
で、僕も一橋を受けたら、1次試験で落っこちちゃって。その後、駿台に行って、東大に入ろうかなって思って駿台を受けたんだけど、駿台って当時3つのカテゴリーに分かれていて、東大に合格するのは、前文という一番上のクラスで、勉強しない人達。友達はみんな前文に入るとか、僕は一番下のクラス。これは一浪しても東大は駄目かなって思ったし、一番下のクラスにいるのは嫌だなって思って、駿台をやめて。
それでどこに行こうかなって思って考えていたら、一次で落とされた一橋のきれいなキャンパスを思い出したわけ。すごくきれいで、特にトイレがクラシックですごかったのね、これはいいなって思って。そうこうしているうちに、祖父が行った大学だということで、なんとなく親しみが出てきたということもあって、じゃあ、一橋受けるかと。ということで予備校を一橋学院に変えたわけ。
当時の一橋って、ほとんど全員といっていいほど、卒業すると商社か銀行に就職してね。メーカーとかは、皆無に近かった。一橋って言ったら、もう商社か銀行。だからどっちになるかなって思ってたんだけども、ちょうど大学1年生のときに、半月板を損傷してしまって。
- 佐々木
それはなぜ?
- 藤巻
さかのぼって言うと、高校1年のときに、スキーで脚を折って、足首を折ったんだけど、そのときは気がつかなかったけど、そのときヒザを痛めていたんでしょうね。それを大学に入って遊びでテニスをやって傷んだヒザの半月板が割れちゃったんです。
ちなみに足を折ったときに石打の診療所で応急処置をしてくれたお医者さんが藤巻先生っていってね、「君も藤巻っていうのか、珍しいな」って言われて領収書をもらって帰ったら親父が、「なんだ俺のいとこじゃないか」と。でも、その先生がきちんと見てくれなかったおかげで、大学の1年のときにテニスをやって、半月板にきちゃったわけ。この先生は後で整形外科でとても偉くなんたんですけど、ずーっと「先生のせいです」と会うたびにチクチク言わせていただきましたよ。もちろん親戚だから言えるんですけどね。
話を元に戻すと、それで、この足では商社に行って世界中を飛び回るのは難しいだろうと、じゃあ、銀行にしようかなと。そういうことで銀行にしたんですよ。
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