ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第117回 岩切茂さん

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建築家・株式会社TEAM IWAKIRI JAPAN代表取締役
岩切茂さん
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モノをつくることはすごく好きだったから
- 佐々木
高校を出た後、すぐに武蔵野美術大学に進学したんでしたっけ?
- 岩切
はい、ムサビ(武蔵美)に行きました。
- 佐々木
それはもう、建築家になろうと思って選んだわけですか?
- 岩切
あまり分からなかったですね。
- 佐々木
ご両親は何をされていたんでしたっけ?
- 岩切
父親は銀行関係ですね。銀行員ではなくて、銀行のコンサルテーションをやっていて、信用組合とか信用金庫とか、全国で講演を年間200回ぐらいやっていて。だから父親とはあまり会わない生活でした。母は、お花のアレンジメントとかを自分でやっていました。
- 佐々木
そうすると、建築家という仕事は、どうして頭に浮かんだのでしょう。家庭環境からではないのかな。
- 岩切
高校時代の友達に非常に影響されたんですね。たとえば音楽をガーッとやるっていう奴にエネルギーがあって。結構、そういう人が高校の中でもいた。でも僕はあまり音楽にのめりこんでいたわけじゃないし、かと言って、とりあえず大学に行こう、という発想はあまりなくて。
モノを作るということはすごく好きだったから、建築家になりたいというより、美大みたいなところに行ってみたいな、という漠然とした感覚でした。
- 佐々木
でも、美大って、ものすごく特別じゃないですか。受験だってユニーク。だから将来に対する相当の思いがないと、選べないんじゃないかなと思って。
- 岩切
でも当時、僕はあまり将来的にどうとかは考えていなくて。ただ、学校で一緒にいる仲間達は、いい大学に進学する人達が大半だったけど、そういう人達を見ていて、ちっとも面白そうじゃないというか、しゃべっててもつまらない。今何をしたいっていうことに対しても、僕なりには、全然、その当時パッションを感じられなかった。
でも、一方で、音楽をやりたいとか、そういうことを言っている人達は、すごく夢のあることをいっぱい言っていたし、僕もそういう話の輪の中に入っているのがすごく楽しかった。そんなときに自分も、もの作りに興味があって、美大系の予備校みたいなところに行ったんですよね。アトリエみたいなところだったんですけど。そうしたら、そこがすごく楽しくて。最初から少しひねくれていたのかもしれないですね。
- 佐々木
大成功する人は、ある程度、いい意味でのひねくれ者ばかりだと思うけどね。ただアートの才能というのは、好きだとか、ただひねくれるだけじゃうまくいかないでしょう。
- 岩切
いや、今でも一緒なんですけど、自分にセンスがあるとか才能があるとか感じたことは、この年までなくて、ただ面白いからやっちゃう。それに対して周りが反応してくれて、巻き込めればいいな、という感じで、あまりストイックじゃないんです。
皆で楽しいことをやりたいというか、自分が楽しいことをやりたい。で、それが周りの人に受け入れられて、ものになったら面白いっていう感じだったので、自分が格好いいものを作って、「どう? すごく格好いいでしょう?」っていうのとか、自分が作ったものが、すごく評価されたから、次もまた何かすごいことをやらなきゃいけない、みたいなプレッシャーは、自分には全くないんです。「たまたま今回はうまくいったよね」っていう話で。
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